シヌマDEシネマ/ハリー東森

2020年01月

この5月になると90歳にお成りになるクリント・イーストウッド御大の、これがなんと40本目の監督作品「リチャード・ジュエル」見てきました。今や押しも押されもせぬ巨匠とお成りになった監督ぶりは相変わらずで、まさしくこれが安定・安心のイーストウッド作品。楽しませてもらいました。
200131_RJ
雑誌スクリーン2月号の解説をそのまま引用すると、
「運び屋」のクリント・イーストウッド監督が1996年アトランタで起きた爆弾テロ事件の実話を基に描く社会派サスペンス。報道の過熱や世間の誹謗中傷の拡散で冤罪が生まれやすくなった現代社会を背景に、テロ事件の容疑者とされた警備員と真実を追う弁護士の姿を描く。

その警備員リチャード・ジュエルは、爆弾が入ったリュックサックの第一発見者であり、爆発の被害を最小限に止めたヒーローとして称賛されるも、FBIに容疑者としてマークされてからは、非難の標的として世間に晒される。ヒーローからテロ容疑者への扱い。掌を返すように誘導するのはマスメディアである。コワい。コワい。

24年前のこの事件のときでさえコレである。ネット社会の現在はもっとコワい。飛び交う情報はマスメディアだけではない。どこの誰だかわからない人物が、無責任につぶやいた言葉や映像が拡散し、お笑い芸人やタレントがワイドショーとかバラエティでコメントした(どっちでもいいようなしょうもない)ことがYahooニュースに載る時代である。

それが良いことなのか・・・。私にはとても良いこととは思えない。そんなことを考えさせられた作品だった。

弁護士役のサム・ロックウェルは「グリーンマイル」や「カウボーイ&エイリアン」では悪役ということもあり嫌な印象しかなかったが、「スリービルボード」では悪役にもかかわらず、コロッと印象が良くなった。本作でも「ジョジョ・ラビット」でもいい役をもらって好演している。

先日、小欄で紹介したWOWOWの番組「W座からの招待状」で小山薫堂が、イーストウッドのところには、監督をしてもらおうと優れた脚本がいっぱい集まってくるんだと思いますよ。と、そんなことを言っていた。

敬愛するイーストウッド様 たくさんの脚本に囲まれて、次は何を撮ろうかと迷われているのでしょうか。もうお歳なんですよ。どうか無理をしないでいただきたい。

ヒトラーに傾倒する10歳の少年を主人公に描いた「ジョジョ・ラビット」見てきました。いや~おもしろかった。というか、良かったぁ。「〇〇さん、これまで見た映画で良かったものは?」と聞かれたら、この作品もその中に入れたくなった。そんな作品に出合えました。
200127_JojoRabbit1
舞台は第二次大戦下、ドイツのとある町。父親は戦争に駆り出され逃亡したらしい。少年は母親との二人暮らし。と思っていたら、家の壁裏にユダヤ人の少女が匿われていて・・・。ナチス・ヒトラーにかぶれ、アーリア人の優位性を信じ、ユダヤ人を蔑んできた10歳の少年は、自分の家に隠れている少女との交流で、少しずつ心の変化が生じて・・・。そんな話。

戦時中だというのに、綺麗な町並み、清々しそうな森といった映像が、カラフルな色彩で描かれる。登場人物もみんな明るい。ナチスの軍服と鉤十字が出てこなければ、まるで平和な世界である。
200127_JojoRabbit2
町の広場に、数人の市民が首を吊られて見世物になっている。主人公の少年が母親に聞く「何をやったの?」母親が答える「やるべきことをしたのよ」少年はナチス党だが、母親はそうではないらしい。戦争の悲惨さがジワジワ寄せてくる。

母親は10歳になる息子が、靴の紐もまだ結べないのを茶化しながら、いつも結んでやっている。この母子の様子がたまらなくいい。その母親がスカーレット・ヨハンソン。アベンジャーズのブラック・ウィドウより、こっちのほうがずっといい。

靴の紐が結べないという描写が、そのあとの、すこぶる印象的なシーンの伏線になっている。そのシーンを語りたいのだが、これから鑑賞する方のためには語れないし、うまく語れない。本作をレビューする記事は数多く出てくるであろうが、もしこのシーンを詳しく語るヤカラがいたら、それは アホ である。それほど私は、後世に語り継がれる名シーンだと思っている。だから言葉なんぞでは語れない。映像でしか語れない映画の特権である。

戦争や戦争中の出来事を舞台にした作品を、これまで邦画・洋画を問わず、たくさん鑑賞してきたが、本作のように(終盤の戦闘シーンを除き)直接的な描写をせず、明るくユーモアを交えながら、これだけ人種差別や戦争の愚かさを表現した作品は、過去に記憶がない、

ちょっと気になったのは、舞台がドイツでありながらセリフが英語だったということ(オープニングはビートルズがドイツ語で歌った「抱きしめたい」だった)。見ていてどうも違和感はあったけれど、これはアメリカ映画なのでしかたないか。

先日始まった大河ドラマ「麒麟がくる」でも、美濃出身の主人公はハキハキした標準語しゃべっとるし(岐阜は名古屋弁と似とるはずだで)京娘は京言葉でしゃべってくれへんし。それなのになんで西郷隆盛は鹿児島弁で、坂本龍馬は土佐弁なのだ。といつも思うのだが、これもしかたないか。

WOWOWで放映している番組に「W座からの招待状」というのがある。小山薫堂(映画「おくりびと」の脚本などを手掛けたライター)と信濃八太郎(イラストレーター)がMCを務め、洋画・邦画を問わずバラエティに富んだ最近の作品を紹介している。
200119_Wza
映画の放映の前には、小山薫堂の詩と信濃八太郎のイラストで、その作品のツカミを紹介し、映画放映の後にはふたりのちょっとした対談がオマケについていて、これがナカナカ興味深い。

昨年末、その番組でイーストウッドの「運び屋」が放送されていた。その録画しておいたものを先日鑑賞した。昨年3月に劇場で鑑賞していて、これが2度目である。年老いた主人公イーストウッドの生き様にインスピレーションを受けたであろう小山薫堂の文章が妙に胸に迫ってきて、思わずメモしてしまった。
  
     「枯れる幸せ」
             小山薫堂
  枯れた花は
  惨めではない。
  枯れることは
  満開の時を過ごした証。
  たくさんの人と
  交わった軌跡。
  咲く喜びと
  枯れる悲しみを味わった花は
  幸せの種を明日に残す。
  雨に感謝し、
  風に揺られながら。
      (句読点、改行もそのまま)

自分自身のことを問いかけられているようで、考え込んでしまった。まだまだ老人だとは思っていないし、枯れかかってはいるが完全に枯れたわけではない。が、人生の終盤に差し掛かっているのは確かだ。

この先、雨に感謝し、風に揺られながら、生きていきましょうか。そんなことを思いながら鑑賞した2度目の「運び屋」は、映画館の時よりも良かった。

昨年の末、千葉県の松戸に住まう息子に、ふたり目の子供が誕生した。私にとっては4人目の孫になる。先日その孫に対面するため数日松戸に滞在した。お嫁さんと赤ちゃんはまだ帰っていない。息子の車でお嫁さんの実家がある水戸市内に向かった。

その途中、常磐自動車道の友部サービスエリアで昼食となった。その時の話である。フードコートの一角にうどん店があり、そのメニューの一品に目が留まった。「常陸牛コロッケそば」・・・“コロッケそば”だぁ。
200117_Korokke1
柳家喬太郎の「時そば」のマクラで、この“コロッケそば”が面白おかしく出てくるので知ってはいた。東京近辺の立ち食いそば屋には、どうやらコレがあるらしいのだが見たことも無いし当然食べたこともない。

68年、いやもうすぐ69年も生きてきて、初めて目にするアホみたいな組み合わせの食べ物である。これは食べてみないといけない。早速に食してみたら・・・。
200117_Korokke2
・・・外はサクサク、中はホクホクのあのコロッケが、そばのお汁にダバダバに浸っている。まぁこれは天ぷらと同じだからそうなるわな。サクサクのはずの衣がフニャフニャだ。食べようと箸でつまもうとすると、パラパラとくずれてしまってつまめない。ホクホクのはずの中身はサラサラと解けるようにお汁の中に消えていく。

海老天やかき揚げなんかだったら、(サクサクでないフニャフニャも)それはそれで美味いんだけれど、コロッケはこんなんでホンマにええんやろうか。これは美味いとは、とても思えない。喬太郎が「時そば」のマクラで言うように、「コロッケは蕎麦の上に乗せられるために生まれてきたのではない」ようで、蕎麦のほうもこれでは可哀そうなのだ。

ということで、これはコロッケにとっても蕎麦にとっても失礼である。というのが結論。と言いながらも、また“コロッケそば”見つけたら食ったるぞ。

先日「フォードVSフェラーリ」を鑑賞した東京ミッドタウン日比谷にあるTOHOシネマズは、初めて訪れた映画館である。久しぶりの日比谷にこんな大きなビルが建っていて驚かされた。ここにはその昔、「スカラ座」があった。思い出のある懐かしい場所である。

20数年前、東京で単身赴任していた頃、休みの日といえば秋葉原の電気街か、たいていが映画館だった。それも映画館が多く点在する有楽町近辺が多かった。日比谷、有楽町、銀座4丁目あたりは、ほぼ同じ地域である。この地理感覚は田舎者には理解しづらい。まぁ、「大阪駅と梅田は一緒やんか」と同じ感じなんやね。

その日比谷の映画館街の「スカラ座」や、その向かいにあった「みゆき座」にはよく通ったものである。特に「みゆき座」はなんかおしゃれで落ち着いた雰囲気で、好きな映画館だった。なのにここも無くなってしまい、このあたりの景色は一変してしまった。

ミッドタウン日比谷の通りを挟んだ向かいには、ゴジラの像があったりして、思わず写真を撮ってしまった。さらにTOHOシネマズ館内のロビーにもゴジラがいたりして、ここでも写真を撮ってしまったのだ。
200116_TOHO
新幹線が品川駅から東京駅に向かって滑り込んでいき、ビル群の合間に東京タワーがチラチラ見え出すと、「わぁー東京だぁ」と少しだけテンションが上がる。大阪にはない大都会のパワーを感じてしまう。来るたびにどこかが新しくなっていて、どこかでいつも大規模な工事をしている。オリンピックに向けてさらに変わっていくんでしょう。

令和2年最初の作品は、東京ミッドタウン日比谷のTOHOシネマズで「フォードVSフェラーリ」見てきました。千葉方面にちょっと所用があり、そのついでに2018年の春にオープンしたそうな、東京ミッドタウン日比谷での初めての映画鑑賞。いや、映画に対して “ついで” は失礼でした。

アメリカの自動車産業に勢いがあった1960年代。経営が傾きかけたフェラーリに買収話を持ち掛けたフォードだったが、フェラーリの会長から断られたあげく、製品から経営陣までバカだのチョンだのとコケにされ、一念発起、ル・マンで打ち負かすまでの顛末。予想した以上に、良くできた作品でした。
200115_FordVS
そのフォードがル・マンで勝つために目をつけるのが、スポーツカーの設計・製造・販売をしている中小企業オーナーのマット・デイモン。そのオーナーが絶対の信頼を寄せるドライバーがクリスチャン・ベイル。

実際の話だというから、へーえ裏ではそんなことがあったんだと興味深く鑑賞できた。映画化にあたっての多少の色付けはあるだろうけれど、当たらずといえども遠からずなんでしょう。

大量生産・低価格で伸してきた米国製自動車が、手作り・高品質・高価格の欧州製自動車を負かすという話だから、アメリカ人は泣いて喜ぶんでしょう。物語はそれだけではなく、企業内経営者間の確執、中小企業の悲哀、夫婦・父子の絆といったものが、巧みに描かれて飽きさせない。

それになんといっても主演ふたりの、羨ましくなるような信頼関係がたまらなかった。もうこうなると、アメリカ人でなくても、結末が容易に想像できても、思わず応援してしまうのだ。あ~おもしろかった。

ということで、令和2年のスタートは幸先のいい作品に出合えました。初めての東京ミッドタウン日比谷の印象は次回に。

このページのトップヘ