シヌマDEシネマ/ハリー東森

2017年11月

京都へ、紅葉を愛でに私用で行ってきました。(このボケ 分かるかなぁ)

春の京都といえば、桜の名所をあちらこちら巡ったことを思い出すのだけれど、秋の京都となると、ちょっと印象がない。

考えてみると、我が家のド田舎ではこの部屋の窓からでも、近くの山々が黄色や赤色に染まっているのを観賞できるし、車で十数分のところには観心寺や延命寺といった紅葉の名所があるせいかもしれない。

ということで、昨日この歳になって初めて永観堂に行ってきました。が、予想以上に人の多いこと。それもカメラを持っていない観光客のほとんどがスマホで撮るわ撮るわ。まさしく一億総カメラマン。いつからこんなことになってしまったのか。

こっちも負けずに、この春に購入したFUJI X100Fで撮った撮った。被写体に人波が写りこまないように苦労しました。
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奇想天外というか、予想だにしない展開になっていく不思議な作品だった。世間ではこの「ゲット・アウト」をホラー作品としているようだが、私にはそうは思えなかった。ブラックなコメディ作品。そんな印象だった。 

監督・脚本がジョーダン・ビールというアメリカでは人気の黒人コメディアンとのこと。これがデビュー作らしい。アメリカ社会には人種差別がまだまだ根強く残っていると思わせる、アフリカ系アメリカ人から白人に対しての、皮肉なメッセージといったところか。
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具体的な感想を述べるには、話のスジに触れないわけにはいかない。が、話のスジ=ネタバレになりそうで、これが難しい。前半は、シドニー・ポワチエ、スペンサー・トレイシー、キャサリン・ヘプバーンの「招かれざる客」(1967年)を、後半はピーター・フォンダ、ウォーレン・オーツの「悪魔の追跡」(1975年)を思い出した。

話は少し変わる。こうして鑑賞後の感想を綴るにあたっては、必ず守っていることがある。それはなにかというと、他人の感想やコメントを見ないようにしていること。世間の評価に影響されて、自分の感想がブレてはいけないと思っている。

ところが今回は、その禁を破ってしまった。ネットで “ゲットアウト ネタバレ” で検索し、話のスジを再確認してしまった。それはなぜかというと、恥ずかしながら鑑賞後に、理解できないことがけっこうあったからである。

そして、なるほどとガッテンがいったところもあったし、いまだに理解できないところもあって、そのあたりを述べてみたい。が、ここから先、未見の方はご遠慮願いたい。作品の面白さが台無しになること請け合いですよ。

               


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重厚なクラシック音楽を聴いたような・・・。「ブレードランナー 2049」の感想を、ひとことで述べるとしたらそんな印象だった。じれったい。とにかく長い。言い換えれば、じっくり見せてくれた。

ちょうどWOWOWで35年前の1982年に公開された「ブレードランナー」を放映していて、それを再見してからの鑑賞となった。前作は2019年のロサンゼルスが舞台となっていた。本作はそれから30年後の物語である。
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まず感心したのは、前作が持っていた独特の雰囲気・・・つまりは映像であり音楽でありテンポ、スピード感・・・といったものがそのまま踏襲されていたこと。これは簡単なようで難しい。おそらく、老いたリドリー・スコットが再び監督していたら、良い意味でこうはならなかったと思いたい。「ボーダーライン」「メッセージ」のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の力量だと思っている。

例えば、物語の中盤、主人公のK(ライアン・ゴズリング)が子供の頃に隠した木彫りのおもちゃの馬を、記憶を頼りに探し出し、古衣に包んだそれらしきものを取り出すシーンがあった。観客も主人公もそれが何か分かっているのに、それの出てくるまでが、まぁじれったくて長いこと。いまどきの映画であれだけ引っ張るのもめずらしい。

前作を含め、この作品でいちばん感心するのは、近未来の世界をさりげなく描いていることである。

例えば、酸性雨が降り続いたり、LA郊外には廃棄物の山となっている地域があったり、木彫りのおもちゃの馬がめずらしがられるほど本物の木が貴重だったり、ラスベガスは放射能に汚染されて廃墟となっていたり・・・。なぜそうなったのかは、観客の想像力である。

描かれているのは、人間とレプリカントの関わりという限られた話ではあるが、それを取り巻くマクロな世界が見え隠れしてくる。温暖化、人口増加、食糧難、遺伝子組み換え、IPS細胞、クローン、核・・・そんなキーワードが、人類が行き着く先の世界を暗示するような・・・。

話は少し変わる。「世界観」という言葉がある。goo辞書では以下のように説明している。
世界およびその中で生きている人間に対して、人間のありかたという点からみた統一的な解釈、意義づけ。知的なものにとどまらず、情意的な評価が加わり、人生観よりも含むものが大きい。楽天主義・厭世主義・宿命論・宗教的世界観・道徳的世界観などの立場がある。
何べん読んでも分からない。だから「世界観」という言葉を安易に使うのは控えるようにしているのだが、この作品からいわゆる「世界観」みたいなものが感じとれるのである。前作がSF映画の金字塔といわれる所以も、このあたりなんでしょう。

その前作が描いた2019年の世界は、幸いにも現実とはほど遠い。2049年でもおそらくそんなに変わっていないでしょう。変わっていないで欲しい。繰り返しになるが、それでもこの作品が暗示するような世界に、いつかはなってもおかしくないような・・・。そんな思いにさせられた作品だった。

30年後のデッカード役として登場したハリソン・フォードは、「スターウォーズ/フォースの覚醒」での30年後のハン・ソロ役といい、これからまたもインディ・ジョーンをやるとのこと。何十年も隔てて同じ役を演じるという、こんな俳優ほかにいただろうか。ちょっと思い当たらない。

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