シヌマDEシネマ/ハリー東森

2016年09月

20年以上に及び、常に質の高い作品を提供してくれているイーストウッド監督は、御歳86歳を召されたにもかかわらず、いまだに創作意欲の衰えを知らないようで、その最新作「ハドソン川の奇跡」見てきました。今回もコケることなく、安心して見ていられました。満足な出来栄え。

我が国でも話題になった航空事故の映画化で、ハドソン川に着水した旅客機の両翼に立ち並んだ乗客の写真は今でも印象に残っている。その事故の様子を、単なるパニック映画や機長の英雄伝としなかったのが、成功の要因のようである。

160929_sully


物語は、事故後の国家安全運輸委員会での緻密な調査・分析によって、飛行機はハドソン川に着水せずとも、近隣の飛行場に緊急着陸できたのではないか、という追及を軸にしながら、そのとき何が起こっていたかが描かれていく。

果たして機長の判断ミスで乗客をむやみに危険に晒したのか、あるいは機長の判断が正しかったのか・・・、そこに焦点を当てることで緊張感が最後まで持続した。乗客・乗員全員奇跡の生還という心温まる快挙の裏で、こんな重っ苦しい事実があったとは知りませんでした。

原題が「Sully」で、サレンバーガー機長の愛称になっている。タイトルを事故の代名詞ともなった「ハドソン川の奇跡:Miracle on the Hudson」にせず、あえて「サリー」にしても何のことか分かるくらい、この呼び方はアメリカ人に浸透しているんでしょう。

雑誌スクリーン11月号によると、イーストウッド監督はそのサリー機長の役を、ブダペストで撮影中(おそらくもうすぐ公開の「インフェルノ」の撮影でしょう)のトム・ハンクスに直接電話で依頼したそうで、受けたトム・ハンクスも一発で快諾したとのこと。こんな記事を読むとなんかうれしくなる。

エンディングで、実際のサリー機長や事故当時の乗客・乗務員を登場させて、観客の心を揺さぶるのは、前作「アメリカン・スナイパー」と同じテクニックで、イーストウッド監督の演出に、またしてもハマってしまうのである。

TOHOシネマズ梅田で「The Beatles : Eight Days a Week - The Touring Years」見てきました。客席はほぼ満席。若い人もチラホラ見かけたが、客層は私と同年代かそれより上の人たちがほとんど。まさしく、ビートルズが大好きな人たちのための映画なんでしょう。

私もいつもの“さぁ映画を見に行くか”という雰囲気とはちょっとちがい、“久しぶりにビートルズの音楽に浸ろうか”という感じで出かけたわけで、買ったこともないパンフレットまで購入してしまった。

160924_beatles


作品としての映画の出来はどうだったかといえば、月並なドキュメンタリーで、監督のロン・ハワードに少し期待はしたが、特にどうということはなかった。それでも私は次々に流れるサウンドに酔いながら、ジョンやジョージの元気な姿や声を目にして退屈はしなかった。隣の席の若いお兄ちゃんは何回もあくびをしていたけれど・・・。同じようなライブシーンが多すぎたんでしょう。

上映後、今回の公開に限ってのオマケ映像として、1965年ニューヨーク、シェイ・スタジアムでのライブが30分ほど流れた。半世紀、実に50年前である。その映像と音を最新の技術で修復したと注釈していた。これは圧巻だった。ジョンとポールのデュエットはやっぱり最高だな。

ということで、ここからはこの映画を含め、昨年暮れに発売されたブルーレイや、それまでのビートルズ関連ビジネスについて少し思うところを述べたい。
こういったビートルズの、もう新しく生まれるわけもない限られた音源や映像を、手を変え、品を変え、ひねくり回し、商品にし、販売するという、このやり方に、実はウンザリしている。

ビートルズのファン、マニアは、そりゃあ何か出れば買いますよ。だけど、こんなビジネスはいかん。セコい。セコすぎる。それでもまだまだ続くんでしょう。我々のようなリアルタイムで聴いてきた往年のファンが死に絶えるまでは、ビートルズをネタにもっともっと儲けてやろうと群がるヤカラが無くならないんだろうねぇ。

なんばパークスシネマで「グランドイリュージョン 見破られたトリック」見てきました。3年前に公開された作品の続編。その前作の私の感想を読み返してみると、『・・・その手口はたちの悪い犯罪で、それもムリがありすぎた。マジックであればもっとスマートで痛快でなければならない』と述べている。が、まぁまぁそれなりに面白かった。

だから続編が出来たんでしょう。だから私もついつい映画館に足を運んだわけで・・・。しかし、今作はさらにムリがありすぎた。それに痛快すぎて“ほんなアホな”と興醒めしてしまった。

まず前段で、マジシャン4人の集団フォー・ホースメンの紹介を兼ねながら、前作からその後の状況が説明されるのだが、これがつまらなくて長すぎた。ここでもうダレてしまった。

マカオのIT企業内で厳重保管されているチップ(これが世界中のあらゆるシステムにアクセスできるというワケの分からんチップ)を盗んだシーンでは、そのカード大のチップを4人がカードマジックのように出したり隠したりとテクニックを披露する。これがまた長い。長すぎてダレてしまった。。

160916_nowyouseeme2


だいたいマジックというものはナマで見るからびっくりするんであって、まさしく映像マジックといわれる映画の世界で見せられても(たとえ種明かしされたとしても)ムリがある。終盤のフォー・ホースメンのリーダー、ジェシー・アイゼンバーグの、降りしきる雨を自在に操るイリュージョンも、種明かしされたのに良く分からず、“ほんなアホな”になってしまう。

極めつけは大詰めのジェット機を使ったダマし。種明かしは控えるが、アレに気がつかないわけがないでしょ。まさしく “ほんなアホな” だな。そういえば思い出した。その昔テレビ映画「スパイ大作戦」で、列車を使った同じトリックがあった。あれのパクリだな。

もうひとつ“ほんなアホな”があった。トリックを成功させる手段として、催眠術が重要な要素になっていた。一瞬で仕掛ける催眠術というものがあんなに簡単にかかるものかねぇ。信じられへん。

さらにもうひとつ、ハリー・ポッター以来久しぶりにダニエル・ラドクリフを見たけれど、存在感がなかった。演技力の問題か、27歳と若いのに、貧弱なただのオッサンにしか見えなかった。

あまりにこき下ろしすぎた。良かったところを述べたいのだが、ちょっと思いつかない ハリー東森 でありました。

7月29日の封切りから40日間で420万人を動員したとか、今年の邦画実写部門興行収入トップになったとかいった報道で、気にはなっていた。そこへ横浜在住のOさんから面白かったよ、というメールをもらっては、洋画ファンの私も放っておけない。で、「シン・ゴジラ」見てきました。

速い場面転換、巧みなカット割り、次から次へと登場してくる知った顔の俳優陣、その人物たちのクローズアップと、連射してくるセリフの数々・・・そんな畳み掛けてくるような展開に圧倒された。

160810_shingozira1


我が国の映画とその興行システムに、私はある印象を持っている。“邦画は所詮、テレビの延長”という偏見である。その理由を述べるとなると長くなるのでここでは省くとして、それが良いとか悪いとかいう問題ではない。私は非日常の体験こそが映画の面白さだと確信している。だから邦画については積極的に映画館に足を運ぶような魅力を感じない。しかしこの作品でその印象がちょっとだけ変わったような気がした。

“ゴジラ”を題材にした娯楽作品ではあるが、あぁおもしろかっただけではない“真面目な作品”だと感じたのが意外だった。有事の際に、国家というものがどのように機能するのか、そのシミュレーションを見たような気がした。おそらく、3.11の福島原発でも似たようなことがあったのでは・・・と容易に想像できる。

自衛隊の位置づけ、首相としての決断の重み、各省庁の姑息とも思える駆け引き、米国の介入、ちょっと大げさかもしれないが、いまの我が国を取り巻く危機管理の有り様が見えてくる。首相や関係大臣・官僚、自衛隊の幹部といった方々に、ぜひこの作品の感想を聞いてみたくなる。

エンドロールのゴジラのテーマ曲はあえてモノラルだったようだし、終盤のゴジラへの総攻撃のシーンは、爆撃音などの効果音は大迫力の音響効果だったのに対し、バックで流れる音楽はモノラルだった。家屋やビルが壊れたりするシーンはCGではなく、ふんだんにミニチュア模型が使われていたようで、映像はややショボかった。が、これらはすべてこれまでのゴジラ作品へのオマージュなんでしょう。

さらにそのミニチュア模型について少し。昨今のCGのテクニックだけを売り物にしたような作品にはちょっとウンザリしている。びっくりするような映像を見せられても「どうせCGでしょ」と醒めた気分にさせられるのだが、不思議とこの作品はそんな気にならず、かえって好感が持てた。

ちょっと褒めすぎた。長くなるが、あと気に入らなかったことを。
場面が変わるとその場所がどこなのか、新たな登場人物が出てくるとその人物の職業や所属、肩書き、名前が字幕スーパーで表示されるのはいい。ただその文字が長すぎたし消えるのが早くてちゃんと読めなかった。英語のシーンの日本語字幕スーパーも同じで目で追うのがしんどかった。洋画で日本語字幕に慣れている私のはずだが、もう途中で半ば諦めた。

翻訳者 戸田奈津子女史の著書に「字幕の中に人生」(白水社)があって、その中で字幕スーパーは「1秒4文字以内に納めなければならない」と、長い英語のセリフでもいかに簡潔に分かりやすい表現にするかの苦労を述べている。そんな洋画での日本語字幕表現の原則を見習ってほしかった。

ということで、もう少し前述の邦画に対する偏見などについても綴りたいけれど、長くなるので、これはまた別の機会に。

この春、東京は亀有に住んでいた息子夫婦が千葉県の松戸に転居した。その様子を伺うというのを口実に、4泊5日で関東地方をあちこち旅行してきました。その中のある一日のこと。

車でどこかへ案内するというので、たっての願いで東武ワールドスクウェアに連れて行ってもらった。ずっと前から行ってみたいところだったが、東京から向かうとなるとちょっと遠くて中途半端なところにある。いつか鬼怒川温泉に泊まったときにでもと思っていたがそのままになっていた。

さてその東武ワールドスクウェア

これが面白かった。国内だけでなく世界各地の有名な建造物がすべて25分の1の縮尺で精巧に作られている。建造物だけでなく周りの植栽や人物なども配置されリアルそのもの。見ていて飽きなかった。写真を撮りまくってしまった。そのいくつかを紹介。


160906_tobuw1


清水寺と東大寺大仏殿


160906_tobuw2


スカイツリーと右は厳島神社の向こうに姫路城、さらにその向こうのスカイツリーを眺める小学生たち


160906_tobuw3


エッフェル塔とサクレクール寺院


160906_tobuw4


サグラダ・ファミリアとノイシュバンシュタイン城


160906_tobuw5


サン・ピエトロ寺院とピサの斜塔


160906_tobuw6


マンハッタン、 ウェストサイドではジョージ・チャキリスが踊っていました


160906_tobuw7


アンコール・ワットとタージ・マハル


160906_tobuw8


スフィンクス、ピラミッドとアブ・シンベル大神殿


死ぬまでに、ピラミッドやタージ・マハルはぜひ行きたいと願望していたけれど、これで行ったことにしてしまうのだ。

このページのトップヘ