シヌマDEシネマ/ハリー東森

2014年05月

先週の土曜日、その前の土曜日と週末2回続けて同窓会がありました。ひとつ目は勤めていた会社の同期会で、長良川温泉の旅館の大窓から鵜飼を眺めながらの宴会。その次が高校時代の同窓会で、名古屋は鶴舞公園近くの中華料理屋での宴会でした。

同期会のほうは職場が同じだったというわけではないけれど一緒に入社した仲間で、世の中の景気や会社の状態が良い時も悪い時もやってきたという連帯感みたいなものがあって、なんとも心地よいものでありました。

同窓会のほうはこれまで何べんもやっているけれど、45年ぶりに初めて出席したという同窓生が数人いて、なんとも懐かしかった。45年ぶりにお会いしたその人たち風貌は、相当に変形しておりました。と、人のことは言えんわな。おそらく電車で隣同士に座って顔を見合わせたとしても、お互い気づかないんでしょうねぇ。

あれから45年。それぞれが違う人生を歩んできても、やっぱり話をすると高校時代にタイムスリップしてしまって、すっかり忘れていたあの頃の青く甘酸っぱい記憶が蘇ったりして、なんとも心地よいものでありました。

「Xーメン」シリーズや「レ・ミゼラブル」で、どちらかといえば華やかな印象のあるヒュー・ジャックマンの、地味で陰気なサスペンスとなれば、「ウルヴァリン:SAMURAI」なんかよりはずっと興味がそそられる。で、「プリズナーズ」見てきました。これがナカナカおもしろかった。

少女誘拐事件という題材も陰湿ながら、抑えた演出でジワジワと引き込まれた。キーンと張りつめた音楽も緊張感をさらに募らせて効果的だった。毎度のことで恐縮だが、CGに頼るばかりの、まるで見世物のような作品が多い中、こういうテイストは久しぶりに味わった感じがする。こういうの好みだねぇ。

ただし、謎解きとしてはもうひとつだった。誘拐された少女たちは果たして無事に助けられるのか、犯人は誰か、というストーリーが展開していく中、いたるところに提示された伏線らしきものが最後になって収束に向い1本になるかと思いきやそうでもなく、なにかしっくりこなかった。

例えば、捜査線上に浮かんだ神父や若者がどれくらい事件に関与しているかがよく分からなかった。観客を惑わすための単なる撒き餌のようでもあるし、そうでもないような・・・。真犯人の動機ももうひとつ納得できなかったし・・・。ジグソーパズルの最後のひとつが見事に納まった。というより、何枚かのピースが残ってしまった。そんな感じ。

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あと、刑事役のジェイク・ギレンホールが良かった。この人、眉毛はゲジゲジでギョロ目でイケメンではないけれど、ちょっと応援したくなってきた。ラスト近く、危機に陥った父親役のヒュー・ジャックマン。最後はこうするだろうと予想した通りだった。終わり方もよくあるテではあるけれど、上手く余韻を残した。こういうの好みだねぇ。

ということで、久しぶりに上質なサスペンスを味わって気分もいい ハリー東森 でした。

このところの報道で、3Dプリンタで作られた銃器が話題になっているその3Dプリンタ。コレが出始めたころから、この呼び方にすこぶる抵抗を持っておりました。

そのモノを初めて見たとき、プリンタというネーミングから受けるイメージとはほど遠いシナモノだと感じたわけで、アレはどう見たって印刷機ではない。造型機である。出始めた頃から樹脂性のものが素材として使用されたそうだが、今ではセラミックや金属まで加工できるようで、もうこうなるとプリンタというレベルのものではないでしょう。

憶測で物言うのもなんだが、米国かどこかで開発されたときに付けられたネーミングだろうけれどあまりにも安直すぎる。またそれを業界もマスコミもなんのためらいもなく使い続けるその神経がわからない。プリンタという表現に疑問を感じるのがフツウでしょう。

話は変わるがその昔、私が初めてコンピュータ関係の仕事に携わった取っ掛かりは、住宅の平面図や立面図を描くためのプログラミングだった。実際に図面を描くマシンは「X-Yプロッター」と呼ばれ、二次元のX軸、Y軸の座標を点のつながりとしてデータ化し、点と点を結んで「X-Yプロッター」で線として描かせるという、まぁ細かいプログラムを作っておりました。

3Dプリンタなるものは、まさしくこの「X-Yプロッター」の延長線上にある三次元の座標の積み重ねである。データ量も二次元に比べ桁違いに多くなるはずで、これからもプリンタというレベルではない。

文句をタレるばかりではいけない。そこでネーミングの代替案。
「X-Y-Zプロッター」 これ いいと思うけどねぇ。

WOWOWから録画していた「真夏の方程式」を鑑賞。テレビドラマはほとんど見ないけれど、フジテレビ系の「ガリレオ」シリーズは毎週見ていた数少ないドラマで、映画化された前作「容疑者Xの献身」もナカナカ面白かった。

映画の真髄は “非日常の体験” だと確信している私としては、テレビドラマの延長である劇場版は “日常そのもの” だと思って、映画館までわざわざ足を運ばずテレビで見てしまうのだ。だいたいが、テレビドラマのファンを映画館で釣ろうなんぞというのはセコい感じもするが、それも映画産業発展のためのひとつの方策として、しかたないことだと理解はしている。

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さてその「真夏の方程式」。テレビドラマの印象とはだいぶ違っていた。舞台が夏の海辺の小さな町というのもあったためか、大学の研究室での福山雅治と吉高由里子たちとの軽妙なやり取りもなかったし、推理が閃いたときのあのテーマソングとともに場所もわきまえずワケの分からん数式を書きなぐるシーンもなかったし・・・。

テレビと劇場版は違うんだ、というところを見せたかったのかもしれないが、見るほうは当然テレビの「ガリレオ」を期待するわけで、ちょっと肩透かしを喰らった感じがした。推理ものとしても少々弱かった。

“小学生が 夏休みに 親戚の家で体験した 暗く悲しい物語” として見れば、そこそこの作品にはなっていました。ただし、本編殺人事件の発端となった十数年前の出来事のオトシマエが十分についておらず、モヤモヤ感が残ってしまった。例えが悪いが残尿感のような・・・。

松たか子の歌の上手さはずっと前から知っておりました。その松たか子が劇中で歌う「Let it go」の評判が良いのも何かで見て知っておりました。アニメには興味が無いけれど、その歌も聞きたくて「アナと雪の女王」を鑑賞。

「アナと雪の女王」ミュージック・クリップ:♪Let It Go/エルサ(松たか子)
YouTube: 「アナと雪の女王」ミュージック・クリップ:♪Let It Go/エルサ(松たか子)



作品としての感想はといえば“オッサンには縁の無い映画”でした。小学生くらいの女の子とその母親が一緒に見に行ったら、さぞかし喜ぶだろうなぁ。そんな作品だから、オッサンには縁は無いわなぁ。しかし大ヒットするのも分かるような。

後から知ったが、アナ役の声は神田沙也加だということで、こちらも歌の上手さにちょっと驚いた。松たか子も神田沙也加もキャラクターの声になりきっていた。どちらも声にあまり特徴が無いのが幸いしたのかもしれない。「LIFE!」の岡村隆史とはどえらいちがいである。

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