シヌマDEシネマ/ハリー東森

2014年04月

久しぶりに映画館に足を運ぼうと思ったけれど、ゴールデン・ウィークというのに特に見たい映画が無い。で、先日の旅行中に機内で見た映画の感想など述べて、この場をつなぎます。

ロサンゼルス行きの飛行機で見たのが「LIFE!」、ニューヨークからの帰りに見たのが「アナと雪の女王」と「アイアンマン3」の3本。ちなみに3本とももちろん日本語吹替え版。

7~8インチの小さな液晶画面で、飛行中の騒音の中で、聞き取りにくいヘッドフォンで、機体が揺れだすとシートベルト着用のアナウンスなんかで中断されたりと、映画を鑑賞するにふさわしくない環境で見るのだから、映画が可哀相だし、作品本来のクオリティも十分に発揮されないのは承知の上で鑑賞。

まず「アイアンマン3」。トニー・スターク役のロバート・ダウニー・Jrの相も変わらぬトボけた演技で楽しめた。ミッキー・ロークが悪役を演じた前作より面白かったかも。そうか、前作は映画館で千円払った。こっちはタダだ。タダには弱いのだ。

次に「LIFE!」。予告編で見た限りでは「フォレスト・ガンプ」のような雰囲気が漂い、ちょっと期待していた。テレビの芸能ニュースで、日本語版吹替えをナイナイの岡村隆史がやるというのも知っていた。この岡村が良くない。お笑い芸人として特に好きでも嫌いでもないが、これは良くなかった。

他の出演者が標準語なのにひとり関西弁でしゃべるから違和感はあるし浮いているし、主役のベン・スティラーよりも前面に岡村の顔がチラつくしで、まったく作品に入り込めず30分くらいで止めてしまった。つまり結局見ていない。WOWOWの英語版を待って、あらためて見直そう。

そういえばロン・ハワード監督の「ラッシュ/プライドと友情」の日本語吹替えをKinKi Kidsの堂本光一と堂本剛がやったりと、話題づくりや彼らのファンを呼び込むためにはいいのかもしれないが、作品としてのクオリティを保つためにもプロの声優さんに任せればいいと思うんだけれど、どうでしょう。

こちらは成功した日本語吹替えになるんでしょう「アナと雪の女王」。長くなったので続きは次回に。

13泊15日とちょっと長かったアメリカ旅行から帰って、二晩ぐっすり眠りました。それでもまだ日常の生活に戻った感じがしない。まだふわふわしている。

西海岸のロサンゼルスから東海岸のニューヨークまで、途中1,000kmほどは列車を利用したものの、バスで走った距離と合わせて約6,500km。素通りしただけの州も含めて通過した州が全部で20州。“旅をしたぁ”という達成感がアメリカ地図を眺めていると湧いてくる。まさしく地べたを這いずって、“点”ではなく“線”で移動してきたんだ。

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全体を通して特に印象的だったのは前半の南西部から南部にかけて、ネバダ、アリゾナ、ユタ、コロラド、ニューメキシコ、テキサスが強烈だった。ノドの奥までヒリヒリしそうな乾いた風、赤茶けた土と砂塵、どこまでも続く荒野、西部劇ファンにはもうたまらないそのままの情景だった。

それがテキサス州のサンアントニオに近づくにつれ森が多くなり景色が一変した。映画「アラモ」でテネシー州から助っ人に来たデイビー・クロケット役のジョン・ウェインが「こんなに緑が多いとは思わなかったよ」というセリフが実感できた。

もうひとつ、ガイドさんが印象的だった。
これまで経験したツアーのガイドは、行く先々でその土地専門のガイドが付いてくれてウンチクをタレるんだけれど、その時はフンフンと聞いていてもたいていは忘れてしまうのが多い。今回は私の興味を惹く事柄が多かったせいもあるかもしれないが強く印象に残った。

今ツアーのガイドのOさんはアメリカに帰化したそうなロス在住の“元日本人”。主に西海岸をテリトリーとしているにも関わらず、全工程のガイドを務めてくれた。当たり前のことではあるが、その知識の豊富さに感服してしまった。訪れる土地それぞれの名前の由来、その土地にいた先住民の種族、現在の文化・産業・人口・人柄、草花や木の名前・・・。北海道専門のガイドが沖縄のガイドをするようなもの(添乗員Sさんの言葉)だそうで、恐れ入りました。

最後に、ネットワークなどについて。
宿泊したホテル12ヶ所はすべて無料のWi-Fiが利用できた。ラスベガスで泊まったルクソールが最悪で、部屋ではWi-Fiが繋がらずロビーで利用した。2連泊したニューヨークのマンハッタン・アット・タイムズスクエアは部屋での利用は有料(24hで14ドル)だったので、これも無料のロビーで利用した。あとのホテルは、パスワードを入れたり部屋番号を入力したりと、手順こそ違うが部屋で利用できた。

今回はノートブック、iPad、iPhoneを持参した。iPhoneはアメリカに着いてすぐに、費用がかからないようにモバイルデータ通信機能をoffにして、Wi-Fi機能だけにした。電話のほうはローミングでほぼアメリカ全土 T-Mobile に接続されたが使用しなかった。ただし、日本からSMSでメールが来たり電話がかかってきたが、私のほうには課金されないはずなのでナンボかかったのか知りまへん。

さて、非日常からもとの生活に戻らなあかん。

朝からリバークルーズで自由の女神を船上から眺めたのをスタートに、一日駆け足のニューヨーク観光。

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「ゴッドファーザー PART2」で、コルレオーネ少年が移民船のデッキから眺めた自由の女神を同じように眺めれば、これはもう感動せずにはいられない。メトロポリタン美術館では短い時間の間にフェルメールだけをとりあえず鑑賞。

セントラルパークを見下ろすダコタハウスには今もオノ・ヨーコが住んでいるそうで、バスがそこを通るときには、ジョン・レノンの冥福を祈って手を合わすつもりが、思わずカメラのシャッターを押してしまった。

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五番街ではマリーに出会わなかったが、オードリー・ヘップバーンがパンをかじったティファニーでは記念撮影ができたし、娘婿にはヤンキースのイチローグッズも買えました。まずはこれでツアー終了。明日、ユナイテッド航空79便で帰国する。

成田から同行して面倒見てくれた添乗員のSさん、大変だったでしょうお疲れさんでした。ロサンゼルスからニューヨークまでガイドをしてくれたOさんに感服。これまで“添乗員同行、現地ガイドによる観光ツアー“は数々経験したけれど、とにかく今回のはこれまでになく強烈でした。

また帰ってか、らあらためて雑感などを綴りたい。

ペンシルバニア州フィラデルフィアを観光。ニコラス・ケイジの「ナショナル・トレジャー」の1だったか2だったかで出てきた、世界遺産の独立記念館などを見学。しかしここの目玉はなんといっても「ロッキー」が生活していた町だということ。

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ロッキーがトレーニングで駆け上がったあのフィラデルフィア美術館の階段を、モタつく足で駆け上がり、同じようにガッツポーズをとれば、やっぱり感動で涙がちょちょ切れてしまったのだ。

バスは夕方、いよいよこの旅の最終地ニューヨークに到着。予想していたとはいえ、ビル群の乱立するさま、人の多さに驚いた。その昔、渋谷の道玄坂の人波を見てびっくりしたが、渋谷も負けるマンハッタン。なんでこんなに人が多いのか、こいつら(私たちも含めて)いったい何をしているのか。

ここに来れば、まずエンパイアーステイトビルでしょ。なんせキングコングも上ったんだ。2代目キングコングとジェシカ・ラングも(これは誤りで、2代目が上ったのは今はなきツインタワーでした)、3代目キングコングとナオミ・ワッツも上ったんだ。それにメグ・ライアンとトム・ハンクスがここで“めぐり逢えた”場所だから。

ところがここもUSJのスパイダーマン以上にすごい人。これだけでマンハッタンの夜は終わってしまいました。明日はいよいよニューヨークでの、アメリカ最後の夜となる。

アトランタを定刻よりやや遅れて出発したアムトラック・クレセント号はサウス・カロライナ州、ノース・カロライナ州、バージニア州をひた走り、定刻通りワシントンD.C.に到着。その距離ざっと1000km。

ここでホワイトハウスなど、お決まりの観光なのでしょうが、私には数々の映画で見たことのある建物や景色が多く、ポトマック川の桜並木には時期が遅かったが、そんなの関係なく当然テンションは上昇する。

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リンカーン記念館からワシントン記念塔を望む風景には、またしても涙がちょちょ切れてしまった。記念塔の前に広がるプールは、フォレスト・ガンプの幼馴染で永遠の恋人、ジェーニーが飛び込んだあの水辺であり、「ザ・シークレット・サービス」のラストシーンでは、クリント・イーストウッドとレネ・ルッソがリンカーン記念館の階段に座って眺めた風景なのだ。それを私も眺めている。これが感激せずにいりゃりょうか。

ちょっと崩した体調もなんとか戻ってきた。最初のうちはこの先まだまだ長いと感じていた旅もいよいよ終わりに近づいてきた。お土産をまったく買っていない家内は、焦りだしている。

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朝メンフィスを発ったバスが目指すのはアトランタ。途中テネシー州から再びミシシッピー州に入り、テュペロという小さな町にあるプレスリーの生家を訪れる。昨日のグレースランドとは大違いの貧しい家。まさしくアメリカンドリーム。よっぽどのプレスリーファンしか来ないところらしい。もう二度とここに来ることはないでしょう。

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バスはアラバマ州を通り抜け、16時ごろジョージア州アトランタに到着。キング牧師国立歴史地区、CNN放送局、ここに本社があるコカコーラのミュージアムをざっと巡る。アトランタといえば「風と共に去りぬ」でしょ。マーガレット・ミッチェルがこの小説を執筆していたという家をバスが通り過ぎた。そこが今日いちばんの感動。

 
ここからアムトラックでワシントンD.C.に向かう。

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ロスから10日間、約5000kmバスを運転してきたカルロスさんとはここでお別れ。カリフォルニア州からジョージア州まで駆け抜けてきたその数は12州。よくもまぁ事故もなくここまで来れたもんだ。英語とスペイン語を巧みに使い分ける彼は、2泊3日かけてひとりロスまで帰るそうだ。毎日「ブエノスディアス カルロスさん」「グラシャス カルロスさん」と挨拶してきた彼に「アディオス アミーゴ」。

我々が乗るディーゼル機関車アムトラック・クレセント号は、出発駅ニューオリンズを朝7時に発って、終着駅ニューヨークに翌日の13時46分に着くという長距離列車。我々はその間のアトランタからワシントンD.C.までを利用する。

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夜8時10分、定刻6分遅れでアトランタを発車。ワシントンD.C.着は翌日の朝9時53分。14時間の夜行列車の旅である。寝台ではなく普通の座席。ただし飛行機のエコノミークラスのような窮屈さはなく、座席には相当ゆとりがあって背もたれも思い切って後ろに倒せる。それでもやっぱりシンドいが、帰りの飛行機よりはましでしょう。

各座席にコンセントは付いているがWi-Fiは無い。列車に揺られながらこの文章を綴ってもアップは明日のホテルになる。

それにしても、ほとんど私より年上のツアーのみなさんのタフなこと。恐れ入りました。昨日からの身体のシンドさは、たっぷり獲った睡眠でなんとか戻ったけれど、相変わらず腹が減らない。

夜中から胃酸がこみ上げてくるような吐き気がして眠れなかった。胸焼けでとにかく身体がシンドイ。3日連続で喰らったステーキがいけなかったか。ここにきて疲れが出たか。ニューオリンズでの朝食は口に出来ず。

バスはルイジアナ州から北上しミシシッピー州を抜けてテネシー州のメンフィスへ。途中の昼食もほとんど口に出来ず、バスの中でもずっと寝ていた。ツアーの人からも「なんか元気が無いわねぇ」なんぞと言われてしまった。

メンフィスといえば、エルビス・プレスリーでしょ。彼の邸宅やお墓のあるグレースランドを訪ねる。プレスリーは私が洋楽を聞き始めた頃にはすでに歌手として大成していて、ポール・アンカやパット・ブーンといわば同列という印象で、特に思い入れはない。

どちらかといえばちょうど洋画を見始めた頃で、「アカプルコの海」や「ラスベガス万才」を見ているが、プレスリーファンのための映画という印象で、作品としてのレベルはたいしたことはない。

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彼には双子の兄がいて死産だったこと。ブロンドなのに黒髪に染めていたこと。匿名で色んな施設に多額の寄付をしていたこと。ファンのための宿泊施設があり、その名も「ハート・ブレイク・ホテル」だということなどなど、ここに来て知りました。アメリカ人は彼のことが好きなんだねぇ。

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5時頃ホテルに着いたがとにかくシンドイ。そのまま3時間ほど眠ってしまった。街に繰り出したいが無理は止そう。まだ先は長い。ここでくたばってはいかんのだ。ビールストリートで名物ポークリブを食べるのを楽しみにしていた家内には気の毒だがしかたない。日本から持ってきたカップヌードルをやっと食べる機会が訪れたと喜ぼう。私は今夜は何も食べず、正露丸を飲んで回復を願うのだ。ホテルの部屋に飾ってあったビールストリートの写真を眺めながら眠るとしよう。

ニューオリンズに向かう途中、オークアレイプランテーションに立ち寄る。一般公開されているアメリカ南部の大農園のひとつで、いわゆる奴隷制度の象徴のような建物内部や庭園が見学できるようになっている。

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「風と共に去りぬ」のビビアン・リーや、最近では「ジャンゴ 繋がれざる者」のレオナルド・ディカプリオが作品の中でこんな大邸宅に住んでいた。今年のアカデミー賞作品賞「それでも夜は明ける」の舞台にもなっていた、そんなアメリカの“負の歴史”を垣間見る。

ニューオリンズは想像していた通りの街で、フレンチクォーターと呼ばれる旧市街の至る所で音楽が鳴っている。ここが舞台になった作品といえば、売り出す前のロバート・レッドフォードとナタリー・ウッドの「雨のニューオリンズ」や、トミー・リー・ジョーンズ、アシュレー・ジャッドの「ダブル・ジョパディー」が浮かんでくる。

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ライブハウスで本場のジャズに酔いしれました。お酒も入ってさらに気分よく酔っ払って、眠い眠い。

今回の旅行は、阪急トラピックスが募集しているツアーで、アメリカの西海岸から東海岸まで、ほとんどをバスで走破しようとする旅。先日レストランでちょっと親しくなったおばあさんに言わせると「crazy」だそうで、まさしく「アホかいな」というより「よぉやるわぁ」というツアーかもしれない。

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ちょうど、北アメリカ大陸の東西の真ん中あたりに来たところだし、日程的にもちょうど半分を経過した。毎日500kmから600kmくらいをバスで移動するのはハードだし、退屈すると思ったがそうでもない。車窓から眺める景色はどこまでもあきないし、アメリカの広さに圧倒されている。こんな旅は足腰がタフなうちにしかできない。

成田から同行の添乗員と、ロスからずっと一緒のガイドとバスの運転手。50数人乗りのバスにツアー客が17名。夫婦連れが多いと思いきや夫婦は3組だけ。男性同士と女性同士のペアがそれぞれ一組。あとは男性5人、女性2人がひとり旅という、ちょっと思いがけない構成。

北は札幌から南は鹿児島から来た人までさまざまで、みなさん旅行経験が豊富な猛者ばかり。年齢層も50代後半から70代後半なので、トイレ休憩も頻繁にあったりして、思ったよりハードではない。個人の自由な旅行とはまたちょっと違ったおもしろさを味わっている。

アメリカ第4位の都市ヒューストンにあるスペースセンター・ヒューストンを訪れた。ここはディズニーが運営しているそうで、本物の月の石に触れることができたり宇宙船の疑似体験をしたりと、いわゆる規模は小さいがディズニーランドの宇宙版といったところ。


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ここの目玉は、隣にあるNASAスペースセンターへのバスツアーがあること。NASAで一般公開されている場所が見学できる。アポロ計画は18号の準備中に予算削減のため中止となったが、飛ぶはずだった18号サターンロケットの実物がそのまま置いてあり、その大きさに圧倒される。


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アポロ計画の際の管制室がそのまま保存されていて詳しい説明があった。もちろん英語だから分かるはずもなく、トム・ハンクスとかロン・ハワードとくらいしか聞き取れなかった。


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あとでガイドさんに聞いてみると、映画「アポロ13」の際、この管制室を実際に使用して撮影する許可をNASAからとりつけたものの、カメラや録音機材の関係で撮影が不可能ということで、ユニバーサルスタジオにこれとそっくりそのままの管制室を造ったとのこと。

監督のロン・ハワードや主演のトム・ハンクスがここに見学に来たらしい。私は管制室のリーダー役だったエド・ハリスが印象に残っている。そうそう、このエド・ハリスは「ゼロ・グラビティ」でもNASAの管制室から、声だけで出演していたんだ。

映画「アポロ13」劇場予告
YouTube: 映画「アポロ13」劇場予告


テキサス州ヒューストンから、バスはルイジアナ州に入る。今夜は7万人都市レイクチャールズに泊。ここはルイジアナ、明日はニューオリンズだ。



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