弟子の談春だったか志らくだったかが何かの落語のマクラで、師匠の談志と兄弟子の志の輔をこんな風に比較していた。「談志を例えていうと高く険しい山で誰も登ることが出来ない。志の輔の山も高いには高いのだがまぁるくてなだらかな山で、女性も子供も簡単に登れてしまう」
それだけ談志の落語は傑出していたのでしょう。ただ、好きか嫌いかという個人的な好みでいえば、あんまり好きでもなかったなぁ。物事を建前で見たり、建前で動いたりする世の中を痛烈に批判したりする姿勢に、ずいぶんと共鳴はしたけれど傾倒するまではいかなかった。
テレビの報道では、桂三枝が大泣きに泣いているのが印象的だった。かつて談志は「本当の新作落語を語っているのは三枝だけだ」と評価するほど三枝落語の良き理解者だった。来年の文枝襲名披露をいちばん祝って欲しかった人だったんでしょう。
亡くなった人にムチ打つこともないのだが、昨夜から今朝にかけてのマスコミの報道の仕方はやけに暖かすぎる。若い頃の談志の言動に対してマスコミの報道は批判的で、世間の目も冷たかったと記憶している。
熱烈なシンパもいただろうが、そのうち「俺は大っ嫌いだったよ」という人が出てくるような気がするし、そのほうが談志はあの世でうれしがっているのかもしれない。
さて、我が家で所蔵する談志の十六席の落語の中から「芝浜」の一席を聞きますか。