シヌマDEシネマ/ハリー東森

2011年06月

ビートルズを好きだと言う若い人たちに少しだけ自慢できるのは、私たちはリアルタイムでビートルズと同じ時空を過ごしてきたことだ。「SUPER 8」を鑑賞して、これと似たような感想を持った。スティーブン・スピルバーグやジョージ・ルーカスが台頭してきた1970年代は、それまでの映画には無かった、なにかワクワクするような新しい面白さを感じたものである。

110629_super8脚本・監督を務めたJ・J・エーブラムズは1966年生まれの45歳だそうで、9歳で「ジョーズ」、11歳で「未知との遭遇」「スターウオーズ」、13歳で「エイリアン」、16歳で「E.T.」をリアルタイムで経験した、映画大好き少年だったんでしょう。そういった映画に対する想いが伝わってきた作品だった。

お話の時代も、テレビニュースでスリーマイル島の事故を報道しているシーンが出てきたので1979年。主人公の少年は母親を勤め先の工場での事故で亡くしたばかりで、保安官の父親とふたりっきりになるのだが、これは父親に逃げられて母親と暮らす「E.T.」の家庭と似ている。

なかなか姿を現さない”何か”。出てきても少しずつしか姿を見せてくれない”何か”。結局最後までどんなものだったか良く分からない”何か”。これは「エイリアン」の描き方と似ている。その”何か”がパトカーを押しつぶしたりするシーンや音楽は「未知との遭遇」と似ている。

そんな前述の映画を思い起こす場面が多々あるのだが、これは映画大好き少年だったJ・J・エーブラムズの敬意の表れだと受け取った。話の細部に説明不足やツメの甘さはあるものの、主人公(ジョエル・コートニー:15歳)をはじめ少年たちの瑞々しい演技も良かった。

なにか純真無垢な少年に戻してくれたような作品だった。

かつてはソ連ボリショイ管弦楽団の天才指揮者だったものの、ブレジネフ時代のユダヤ人排斥政策に抵抗したため、楽団員全員と共に解雇されたという暗い過去を持つ主人公が、30年ののち当時の楽団員を募り、ボリショイ管弦楽団と偽ってパリ・シャトレ座でのコンサートを成功させるお話。WOWOWから録画してあったものを鑑賞。


YouTube: 映画『オーケストラ!』予告編

普通ではありえない話だがそこは映画。前半は質の良くないドタバタコメディ風で、何度か止めようとリモコンに手が伸びたが、バイオリン・ソリストのメラニー・ロランが出てきたあたりから少し持ち直した。この人「イングロリアス・バスターズ」に出ていた女優。やっぱりきれいだねぇ。

110625_concert主人公の指揮者はなぜチャイコフスキーのバイオリン協奏曲に固執し、そのソリストにメラニー・ロランを指名したのか。孤児のメラニー・ロランの両親は誰なのか。そんな謎を提示しながら話が進む。

加えて、ロシア人とフランス人の気質や文化のちがいなどをユーモラスに交えるのはいいのだが、まとめきれず散漫になってしまった。このあたりがきっちり締まっていれば最高傑作になったのに残念。

それでも最後の15分くらいのコンサートの場面は、それまでの不満をぜーんぶ吹き飛ばしてくれた。チャイコフスキー バイオリン協奏曲の盛り上がりの中で前述の謎が解き明かされる。楽団員はソリスト メラニー・ロランのバイオリンの音色で30年前の演奏が蘇り、メラニー・ロランはバイオリン演奏の中で両親は誰かを理解する。まさしく感動のクライマックスだった。

映画の中の音楽は、時として観客の涙腺を弛めるもので、泣けて泣けてしかたなかった「ニュー・シネマ・パラダイス」のラストを思い出させた。久しぶりに泣かされました。

梅雨もひと休みしたような晴れ間に、思い立ってUSJへ。この2月に年間パスポートを購入したはいいが、これまで行く機会が無く今年初めてである。

園内に「シネマギャラリー」があり、映画ポスターやらフィルムセル、俳優たちの自筆サインフォト(オートグラフ)などが展示・販売されている。USJでいちばん好きな場所だ。これまで「荒野の七人」のフィルム、ビートルズの切手集なんかを購入している。

http://guide.usj.co.jp/ja/shop/j_cinema_gallery.do


110622_eastwood1そこにクリント・イーストウッドの自筆サイン入り写真、それも「ダーティ・ハリー」(このショップの親切な担当者Mさんによるとシリーズ4作目だそうだ) があるではないか。”コレ、チョーダイ” と言うには躊躇してしまう高額である。しかしである。激しく躊躇しながら考えた。

この一品は、”ハリー東森(イーストウッド)” という名前で当ブログを綴っている私の部屋に飾られるために、ずっと待っていたのではないか。私以外の人物の所に行ってしまったら、それは不幸なことではないか。そう思いついた途端 ”コレ、チョーダイ” 言っちゃったわ。

110622_eastwood2_3現在、息子の部屋を私の部屋として改造中である。ハリー・イーストウッド様が燦然と輝ける場所を確保するまで大事に仕舞っとこう。ちなみに額の裏にはちゃんと証明があるのだ。

息子の部屋の整理に手間取っている。始めてから10日ほどになるのだが遅々として進まない。このところコレが日課みたいになってしまった。このままいけばクローゼットの中も整理するとして7月いっぱいかかりそうだな。が、まぁいいか。少しずつやればいい。時間はたっぷりあるのだ。(このフレーズ 気に入ってしまった)

110620_videoその部屋にいまだに置いたままにしてあったビデオテープにやっとたどり着いた。ざっと300本。3年ほど前に半分くらい処分し、あとは放っておいたままだった。ビデオ再生機も無いのに置いといてもしょうがない。未練は残るが処分だわな。

しかし録画したのはいいが、おそらく鑑賞したのは1割にも満たないだろう。考えてみればなんとムダな費用と、時間と、置いておくための空間を使ってきたのだろう。と、今だから言えるのである。反省なんぞせーへんぞぉ。

我が家の2階には、いまだに息子と娘の部屋がある。ふたりともすでに片付いているのだが、たまに帰ってくることもあり、原則として出て行ったときの状態にしてある。ただし息子の場合は出てからすでに十年の歳月が流れているため、彼の部屋はいつしか ”なんでも置き場” つまり納戸と化している。

ずっと以前から、その納戸となっている彼の部屋を私専用の部屋、つまり書斎兼、パソコンルーム兼、スタジオにしたいという願望があり、先日から漸くその作業に着手しだした。

この部屋には私の読み散らかした本や楽譜、パソコン用ソフトの媒体、マニュアルなども乱雑に放置されたままになっている。そういったものも含め、ひとつひとつ確認するのを楽しみながら、ゆっくり仕分けしている。時間はたっぷりあるのだ。

110614gamemanga息子が置いていったもので圧倒的に多いのが、これまで発売されてきた歴代ゲーム機とその攻略本である。まぁようもようも親のスネをかじってこれだけ買いよった。息子にやさしい母親がこれまで大事に保管していたのだろうが、親父は冷酷なのだ。ぜ~んぶ捨てたる。

それとマンガ。それも全巻揃っていればブックオフも高く引き取るのだろうが揃っていない。母親に似てやっぱり中途半端な奴だったんだ。

元カノからの手紙なんかも出てきた。そうかぁ、そういうこともあるわなぁ。こういうとこはオレの息子だ。これは捨てられへん。小学校からの通知表なんかと一緒に大事にしまっといてやろう。

110612bunkoこの数年間、読んだままにしてあった文庫本を整理した。こうして改めて見てみると 大沢在昌 が圧倒的に多い。そうだ思い出した、大沢在昌は「らんぼう」(角川文庫)を読んで、まるでアクション映画を見ているような描写やセンチメンタルなところが気に入ってのめり込んだんだ。

これまで本を読むのはもっぱら通勤電車の行き帰りで、往復の3時間ほどが有効に活用できたんだけれど、通勤電車に乗ることもなくなって、めっきり読書することが減ってしまった。これではいけない。

大沢在昌で特に気に入っている「らんぼう」、「野獣駆ける」(講談社文庫)と「新宿鮫」シリーズ、司馬遼太郎の数冊は置いといて、あとはブックオフ行きだな。さいならさいなら。

柳の下のドジョウも4匹目ともなると、これまでのシリーズものと同じようにマンネリ化は避けられないであろうことを承知の上で「パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉」見てきました。

ジョニー・デップ、ジェフリー・ラッシュといった俳優陣で、「シカゴ」「NINE」のロブ・マーシャル監督で、大金を投じての作品ともなれば、これはもうツマらん映画であってはいかんのだ。そして前3作同様、相変わらずの軽いノリで、まぁまぁの出来でした。

110610_piretes_2映画の感想を述べようとするとき、この ”まぁまぁ” というのがいちばん困るわけで、どこが取り立てて良かったとか、悪かったとかがないのである。つまり ”まぁまぁ” なのだ。しいていうならば、きれいな人魚たちが襲ってくるシーンがあるんだけれど、そこがいちばん引き込まれました。その人魚が陸に上がると足が生えるというのも笑えたねぇ。

話は変わるが、この作品は3Dで作られているのだが、3Dと通常の上映の両方で公開されており、あえて通常のほうで鑑賞した。3Dは見づらく、なおかつ料金が高いからである。3Dと通常版が併映されているのも、映画ファンすべてが3Dをウェルカムしているわけではないからだと察する。

にもかかわらず、これからのメジャーな作品が一様に3D化の方向になろうとしていることに疑問を感じている。現在の3Dの技術は万人が満足できるレベルではない。少なくとも私は苦痛である。それとこちらのほうが大事なことだが、3Dは映画が持っている本来の魅力を、低俗な ”見世物” におとしめていると思うのだがどうであろうか。

今回の旅行の行き帰り、成田-パリ間のエアーフランス機内で見た映画が3本。「グリーン・ホーネット」、「SP 野望篇」(お龍の真木よう子が出ているので見てしまった) と現在公開中の「アジャストメント」の3本。

110608_adjustment「アジャストメント」は映画館に行くつもりで見るのはガマンしようと思ったがついつい見てしまった。機内の、前の座席の、小さな液晶画面で、それも日本語吹き替えというハンデを差し引いても、出来の良くないガッカリの作品だった。

ひとの人生というものは、偶然の積み重ねではなく、第三者によって操られていた必然だったという失敬なお話なんだけれど、その話に説得力が無く、詰めが甘い。マット・デイモンも作品を選ばないといけない。ひと頃のロバート・デ・ニーロのようにちょっと出すぎだな。

クルーズ最後の夜を過ごしている。荷物の整理はすべて終わったはず。明朝7時にベニスに到着、下船となる。

この旅が始まってから、毎晩当ブログを綴っているが、今読み返すと思い違いがあったり、誤りもあったりするが、あえて直さない。そのときの印象としての素直な気持ちだったのだから。どうせ記憶というものは長い年月の間に風化したり熟成したりするもので、これからまた時間が経てば、この旅の印象も違ったものになるはずだ。

船旅を何度も経験しているツアー仲間から聞いた共通の魅力は、観光地を巡るたびに宿泊先のホテルでスーツケースを開けたり閉めたりしなくていいことだということだが、まさしくそれは実感できた。寝ている間に次の観光地に連れて行ってくれるというのがたまらない。船内での10日以上の生活でも飽きがこないのも魅力だな。

私たちが初めてだと言うと、みなさん口を揃えて、「また行きたくなりますよ」とおっしゃる。たしかに、これまでの旅行にはなかった数々の経験ができた。好天に恵まれたのもこの旅の印象をさらに良くしたようだ。

船内でのネットワークについての感想を少々。船には常設のインターネットカフェがあり、20台ほどのパソコンが並んでいる。残念ながら日本語をサポートしていない。部屋からでも無線LANでネットワークが利用できるが、前述のインターネットカフェも含め有料である。これがバカ高い。なおかつムチャクチャ遅い。昔の電話回線を思い出してしまった。まぁおそらく通信衛星を利用しているためしかたないのでしょうが、改善の余地は多いに有りだな。

さて、明日はフライトの時間まで余裕があるので、またベニスを散策できるのだ。夜ベニスを発ち、パリ経由エールフランス機の深夜便で成田に向かう。
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船は朝9時、カタコロンに入港した。ここからオリンピック発祥の地、オリンピアの遺跡ツアーがあるのだがパス。小さな港町カタコロンをブラッと歩くだけにして、あとは船内でゆっくり過ごした。

夕食のドレスコードはこれが3度目で最後のフォーマルである。白人の女性はまるでアカデミー賞の赤絨毯を歩くような艶やかなドレスが多い。これがあるからクルーズ旅行の敷居が高いのだが、思ったほど気を使うこともないようで、男性などは普通のスーツにネクタイという方々も多かった。

一緒に日本から出発した52人のツアーの人たちとも、気楽に声をかけられるようになり、たいていは共通の旅行の話になるのだが、ほとんどがクルーズを経験したひとだったり、ヨーロッパの主な鉄道は乗ってしまったひとがいたりで、その道の猛者ばかりでこちらはほとんど聞き役。恐れ入りました。

毎夜催されるエンターテイメントショー(コレが思っていたよりレベルが高く感心する)のあと、バーでピアノの弾き語りを聞く。今夜はビートルズ特集のようで、「Lucy In The Sky With Diamonds」、「With A Little Help From My Friends」、「Eight Days A Week」など、あまりメジャーでない曲までお客の大合唱で、もう感動してしまった。音楽は世界共通なんだ

夕方5時、船はこのクルーズ最後の港カタコロンを出航した。明後日の朝、ベニスに帰港する。
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