昨年夏の公開時に見るつもりで見られなかった「ノウイング」(2009年)先日WOWOWで放映しており鑑賞した。監督が「アイ・ロボット」(2004年)のアレックス・プロヤス。
お話の発端がおもしろい。50年前、小学生の少女が書き残した一連の数字が並んだだけの紙切れが、この50年間に起こった大惨事の緯度経度・日付・死者数を表していると気づいた主人公のニコラス・ケイジが、その原因究明とこれから起こるであろう大惨事を防ぐために奔走する。
ニコラス・ケイジの職業が、マサチューセッツ工科大学(MIT)の宇宙科学かなんかの教授で、生徒たちへの講義で、世の中のすべての出来事は偶然の積み重ねなのか、必然的に起こるべくして起こるものなのかを解説するシーンがあるのだが、どうやらこのホンマにあるのかないのか「宇宙における決定論 対 ランダム理論」がこの映画の大きなテーマのようである。
50年前の少女はいかにして、数々の大惨事を正確に予測できたのか、その少女は現在どうしているのか、その紙切れを学校から持ち帰った主人公の息子の周辺に起こる不思議な出来事は何を意味しているのか・・・お話は適度なサスペンスを孕みながらオカルト風に心地よく進んでいくのだが、結末に向かって大きく曲がってしまった。なるほど、そっちの方向に行ってはいかんでしょう。
この映画のテーマである、すべての出来事が偶然か必然かの結論が ”必然” だと提示されるのだが、人的災害、自然災害を含めて、これをどうやって予測し得たのか、明快な回答が出ていない。よーく考えてみれば、結論自体が間違っている(はず)なので、その答えが出るわけがないのである。これではいかん。
ベートーベンの交響曲第7番第2楽章の哀愁を帯びたメロディが効果的に使われていたのが印象的だった。風呂敷を大きく広げたものの、畳むのに困ってしまったような作品。鑑賞後もモヤモヤ感が残り、消化不良を起こしてしまった。