シヌマDEシネマ/ハリー東森

2010年10月

昨年夏の公開時に見るつもりで見られなかった「ノウイング」(2009年)先日WOWOWで放映しており鑑賞した。監督が「アイ・ロボット」(2004年)のアレックス・プロヤス。

お話の発端がおもしろい。50年前、小学生の少女が書き残した一連の数字が並んだだけの紙切れが、この50年間に起こった大惨事の緯度経度・日付・死者数を表していると気づいた主人公のニコラス・ケイジが、その原因究明とこれから起こるであろう大惨事を防ぐために奔走する。

101027_knowing1ニコラス・ケイジの職業が、マサチューセッツ工科大学(MIT)の宇宙科学かなんかの教授で、生徒たちへの講義で、世の中のすべての出来事は偶然の積み重ねなのか、必然的に起こるべくして起こるものなのかを解説するシーンがあるのだが、どうやらこのホンマにあるのかないのか「宇宙における決定論 対 ランダム理論」がこの映画の大きなテーマのようである。

101027_knowing250年前の少女はいかにして、数々の大惨事を正確に予測できたのか、その少女は現在どうしているのか、その紙切れを学校から持ち帰った主人公の息子の周辺に起こる不思議な出来事は何を意味しているのか・・・お話は適度なサスペンスを孕みながらオカルト風に心地よく進んでいくのだが、結末に向かって大きく曲がってしまった。なるほど、そっちの方向に行ってはいかんでしょう。

この映画のテーマである、すべての出来事が偶然か必然かの結論が ”必然” だと提示されるのだが、人的災害、自然災害を含めて、これをどうやって予測し得たのか、明快な回答が出ていない。よーく考えてみれば、結論自体が間違っている(はず)なので、その答えが出るわけがないのである。これではいかん。

ベートーベンの交響曲第7番第2楽章の哀愁を帯びたメロディが効果的に使われていたのが印象的だった。風呂敷を大きく広げたものの、畳むのに困ってしまったような作品。鑑賞後もモヤモヤ感が残り、消化不良を起こしてしまった。

前回の「エクスペンダブルズ」に絡んで、スタローンのことをもう少し。1980~90年代のハリウッド製アクション映画において、シルベスター・スタローンの功績はけっして小さくないと考える。

カート・ラッセルと共演した刑事モノ「デッドフォール」(1989年)やウェズリー・スナイプスが悪役の「デモリッションマン」(1993年)といった、どうしようもなくコケた映画も多いが、ナカナカの映画もけっこうある。そんな中でスタローンのこれはという作品を考えてみた。

私の好きなスタローン アクション映画ベスト3 を上げてみると、

    1位 「ランボー」(1982年)
    2位 「ナイトホークス」(1981年)
    3位 「クリフハンガー」(1993年)

だな。

101023_cliffhanger「クリフハンガー」
ロッキーの雪山が舞台で、冒頭の女性が谷底深く落下するショッキングなシーンが強烈だった。いつも脂っこい上に暑苦しいスタローンだが、さすがロッキーの高山ともなると、妙に涼しそうで清潔。テレビ界出身だそうな恋人役のジャニン・ターナーが白人女性らしくなく可憐でキュートであった。

監督がレニー・ハーリンで、この作品の前に「ダイ・ハード2」を撮っており、ジョン・マクティアナンに続くアクション映画の監督が出てきたと期待したのだが、その後の「カット・スロート・アイランド」以下、尻すぼみになってしまった。
ちょうど今夜、テレビ朝日系の日曜洋画劇場で放映されるようだ。放送時間の関係上、15分ほどカットされそうだが、せっかくだから久しぶりに見てみよう。

101023_nighthawks「ナイトホークス」
刑事ものの名作はイーストウッドの「ダーティ・ハリー」を筆頭に、マックィーンの「ブリット」など数々あるが、この作品も秀作。ちょっと前WOWOWで放映されていて再見したがやっぱりいい。テロリストに扮したルトガー・ハウアーが、この作品の翌年に制作された「ブレードランナー」で強烈な印象でハリソン・フォードを食ってしまうのだが、その片鱗を見せている。

101023_firstblood「ランボー」
90数分の上映時間の中に、おもしろさが無駄なく詰め込まれている。「ランボー」2作目以降のアクションだけの作品(それはそれでいいのだが)とは明らかに違っている。ベトナム戦争の後遺症、片田舎の町を良くも悪くも牛耳っている警察、そういった味付けがほど良く効いている。

ちなみに「ロッキー」の第一作は、アクション映画というジャンルには入らないと考えここからは外した。ただし、誤解しないでいただきたいのは、アクション映画が、たとえば文芸モノと比べてレベルが低いと言っているのではないので、念のため。

「ロッキー」「ランボー」で、ハリウッド製アクション映画の一翼を担ってきたシルベスター・スタローンが、最後の花道かどうかは別にして、ご老体に鞭打って作った映画となれば、義理でも見に行かなければならないと思ってしまう、アクション映画ファンのひとりである。こういう男臭いのは仕事の帰り、ひとりナンバで鑑賞する。すると、館内にはこういうオジサンがたくさんいるではないか。

スタローンといえば、2008年になんと20年ぶりのシリーズ4作目「ランボー 最後の戦場」がまさしく最後となって、とっくに定年退職されたのだと思っていたのに、まだやりますかぁ。

ということで、あまり期待しなかったのだが、なんのなんのこれがおもしろかった。「トランスポーター」のジェイソン・ステイサム、ハリウッドに行ってそこそこ頑張っているジェット・リー、「ロッキー4」の敵役で、まだいたのかいドルフ・ラングレンといった傭兵役を上手に配して、ダレることなく最後まで一気に引っ張られました。

101020_expendables脂っこ過ぎるのが気になったスタローンも64歳となると、さすがにお肌はカサカサで、歳相応に枯れてきた。これくらいがちょうど良い。監督だけでなく、脚本にも名を連ねていて、会話の中のいたるところにユーモアをちりばめ、暴力的で残酷で陰湿になりがちな描写が少しは和らぎ救われていた。このあたり、話は荒削りではあるが脚本が何回も練られたんだと想像できる。

ミッキー・ロークがかつての傭兵から引退し、スタローンたちに慕われる元締めみたいな役で出ていたが、これが良かった。「アイアンマン2」のどうしようもない悪役や「レスラー」よりも、こっちのほうがハマっていた。

あと、この作品の宣伝文句に「アクション映画のビッグスターが一同に・・・」とあるがこれは過剰広告。出ていないアクションスターはいっぱいいる。それにブルース・ウィリスもシュワルツネッガーもカメオ出演で、タイトルクレジットにもエンドロールにも名前は出ていない。従ってこういう宣伝はしないほうがよろしい。

知らずに見ていて、チラっとでも出てくるからうれしいのである。そうそう、スタローンとシュワルツネッガーの会話はウイットに富んでいてニヤっとさせられた。ここでご披露できるほどはっきり覚えていないのが残念。しかし、みなさん歳とったねぇ。他人のことはあんまり云えませんが・・・。

昨日・今日と世界中がチリ・サンホセ鉱山での救出劇に沸いているが、いやぁ確かに感動的だった。感心したのは、地下深くから生還した人たちが、ヒゲなんかもさっぱりとあたっている人もいて小奇麗だったこと。地上の家族たちと感動の抱擁を交わすのに臭くてたまらんのではないかと心配したのだが、準備万端だったんだねぇ。

報道によると、この奇跡的な出来事はすでに映画化の話があって、タイトルも「33人」と決まっているそうではないか。映画化権といったものが有るのか無いのか。有るとしたら、そのお金は誰が手にするのか。気になるねぇ。

手記の依頼とかいったオファーも殺到しているそうだし、家族を含め関係者のみなさんは一時的な金の誘惑に道を外さないでほしいねぇ。私なんぞは、金につられてすぐ動いてしまうほうだから心配してしまう。

奇跡の生還で思い出したのが、飛行機事故でひとり生き残ったトム・ハンクスが、南海の無人島での見事なサバイバルを果たす「キャスト・アウェイ」(2000年)という作品。こちらのトム・ハンクスは、たしか3年か4年という長い期間を無人島で生き延び、意を決して手製の筏で太洋に漕ぎ出し、瀕死状態のところをどこかの貨物船に救出されたはず。

地元の人たちは彼の生還に当然沸いたが、結婚を約束した恋人はすでに別の男性と結婚し子供までもうけており、感動的ではあったが、そんな切ないところまで描かなくてもいいのにと思ったものである。トム・ハンクスの演技は相変わらず光っていて、いい作品ではあったが、後味はけっしていいものではなかった。

101014_castaway監督のロバート・ゼメキスはこの作品の前半を撮影した後、トム・ハンクスに散髪と髭剃りを禁じ、筋トレに励むよう命じて撮影を中断した。そして、ハリソン・フォード主演の「ホワット・ライズ・ビニース」(2000年)を撮り終えたあと、再びもじゃもじゃ頭でたくましくなったトム・ハンクスで後半を撮影したとか。

この話は小欄「ホワット・ライズ・ビニース」の項でも述べているのだが、どういうわけか誰でも歳をとってくると、同じことを何べんも繰り返し言うようになってくるのだ。

7月の「インセプション」以来、なんと約3ヶ月ぶりの映画館で「ナイト&デイ」見てきました。活劇あり恋あり笑いありの陽気なハリウッド製アクション映画で、見ている最中、見た後も、スカッとさわやか期待通り、上出来の作品でした。監督が先日小欄で紹介した「3時10分、決断のとき」のジェームズ・マンゴールド。この監督、注目だな。

101010_knighaday1カンザス州ウィチタ空港で偶然(実は必然)知り合ったトム・クルーズにちょっと惹かれたキャメロン・ディアス。ボストン行きのスパイご用達貸切飛行機にこれまた偶然(実は必然)乗り合わせ、そこからアホみたいな、訳の分からない事件に巻き込まれ・・・。この冒頭から軽快なノリで引き込まれてしまった。

前半が面白すぎて、あらすじが読め出した後半ちょっとダレた部分もあったが、ボストンからニューヨーク、大西洋の孤島から、オリエント急行、オーストリアのザルツブルグ、スペインのバルセロナと観光気分で舞台が移り、アクションと、ちょっとこそばゆくなるようなふたりの会話ややりとりで、最後まで引っ張られた。

トム・クルーズは「ミッション・インポッシブル」シリーズと似たような職業で、CIAやマフィアから追われる身なんだけれど、ここではキャメロン・ディアスのキャラに合わせてか軽妙で明るい。アクション・シーンもいかにも「どうだ、すごいだろう」という見せ方でなく、ハデではあるがサラリとみせるあたり心憎い。

トム・クルーズが追手から逃れ、ザルツブルグの街を屋根伝いに逃げるシーンがあるんだけれど、画面の向こうのほうから走ってきた彼が通りを隔てたこっち側の屋根に飛び移るシーンがあった。これがまさしく本人がやっている。ように見える。あんな危険なことはスタントマンがやるんだけれど、確かに本人がやっている。

これは私の想像だが、画面の奥から走ってきて飛越すまではスタントマンで、こちら側へ来たときは本人にすり替わっていて、映像をCGで上手につなぎ合わせているのではないかと考える。

101010_knighaday2あるいはバルセロナで偶然牛追い祭りに遭遇し、トムとキャメロンがバイクに乗って牛に追っかけられながらカーチェイスをするシーンがあった。これは先日、日本テレビ系の「しゃべくり007」にふたりが出演したときに、トム自身が「あのシーンは危なかった」と語っていた。このシーンもふたりが実際に撮影している部分と、スタントマンとCGが巧みに繋がれていると想像する。

なにが言いたいかというと、映画の魅力に「どうやって作ったんだろう」、「どうやって撮影したんだろう」という不思議さで観客を楽しませるのも、映画の面白さのひとつだと思うのだが、昨今の映画ではこういうのが少なくなった。「どうせCGでしょ」というのが多いのだが、この作品はそんな興味を久しぶりに感じさせてくれた。これも良し。

先日、NHK BS hiで何本か西部劇を放映していた。その中の、劇場公開されていたことすら知らなかった「ワイルド・レンジ 最後の銃撃」(2003年)を鑑賞したのだが、これが良かった。「ダンス・ウィズ・ウルブス」(1990年)のケビン・コスナー監督 西部劇二作目。

「牛追い」の話である。カウボーイなんだけれどチョット違う。牛を運ぶのでなく、草原を移動させながら牛を育て、売る。こういう職業があったんだ。勉強になるねぇ。その牛追いのボスがロバート・デュバル。寄る年波にも時代の流れにも勝てず、牛を売り払って酒場なんぞをやりたいと考えている。その相棒がケビン・コスナーで、拳銃の扱いと牛追いが上手なだけで、ただただ朴訥と生きている。

もう、これだけで、ひとつの時代が去っていく、切ない哀愁が漂ってくる。

とある小さな町。たちの悪い牧場主が顔役となって町を牛耳っている。その町に買出しに出かけた牛追いの仲間が、顔役の手下たちに暴行を受け、やがて殺害される。この顔役がマイケル・ガンボンで、「ハリー・ポッター」ホグワーツ魔術学校のリチャード・ハリス校長の後釜。その二代目校長先生よりこっちの悪役のほうがずっと似合っている。

牛追いのボスとその相棒は、町の顔役の悪行に断固立ち上がり、闘いを挑んでいくが・・・。

101096_openrange町医者の妹で婚期を逃したものの、シャキッとした西部の女性を演じたアネット・ベニングもいいが、ロバート・デュバルがいい。この人「地獄の黙示録」ではけっこう目立ったが、「ゴッドファーザー」など目立たない脇役が多い。この目立たないところがいいのだが、この作品は前面に出ていた。これがまた良かった。このとき72歳。

ケビン・コスナーは「ダンス・ウィズ・ウルブス」や「ボディ・ガード」(1992年)あたりを頂点にその後はパッとしないが、私の好きな男優のひとりである。こんないい映画を作ってがんばっていたんだ。うれしくなった。

「ダンス・ウィズ・ウルブス」では、西部がモニュメント・バレーのような荒野みたいな土地ばかりでなく、緑多い豊かな大地だということを示したが、この作品も古き良き時代の豊かな自然が美しい。派手さは無いが味のある作品に仕上がっている。

9月25日付 小欄で紹介した「3時10分、決断のとき」とこの作品を見る限り、ハリウッド製西部劇はまだまだ捨てたもんじゃぁない。うれしくなった。

ちょっと前のことになるが、WOWOWで「羊たちの沈黙」(1991年)をはじめとするレクター博士が登場する一連の作品を放映していた。私は「羊たちの沈黙」がレクター博士登場の映画第一作と思っていたが違っていた。「レッド・ドラゴン/レクター博士の沈黙」(1986年)が最初であった。

つまり「羊たちの沈黙」の後に作られた「レッド・ドラゴン」(2002年)はリメイクだったわけだ。今回あらためてそのリメイク版も鑑賞したが、レクター博士がFBI捜査官に捕らえられる過程やふたりのアブナイ関係を軸に、猟奇殺人事件の顛末が展開されて、やはりおもしろかった。こうゆうの好きだねぇ。

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さて、その第一作の「レッド・ドラゴン/レクター博士の沈黙」である。監督が「ヒート」(1995年)「ラスト・オブ・モヒカン」(1992年)のマイケル・マンということで期待したのだが、出来栄えはもうひとつだった。この作品、劇場公開時のタイトルは「刑事グラハム/凍りついた欲望」(原題:Manhunter)だったそうで、その後のレクター博士映画にあやかってビデオ発売時にタイトルを変更したようだ。

「007は殺しの番号」(1962年)「007/危機一発」(1963年)のタイトルで劇場公開された作品が、それぞれ「007/ドクター・ノオ」「007/ロシアより愛をこめて」に後になって変えられたように、こういった例が他にもあるのだが、こうゆうの、私は好かん。この話はまた別の機会に。

話を戻す。どこがもうひとつだったかといえば、リメイク版に比べ、レクター博士とFBI捜査官の関係がわかりにくかったり、殺人犯の描写が足らなかった。ただマイケル・マンらしい硬派の雰囲気は良くでていた。レクター博士を演じたブライアン・コックスは最近でこそ、マット・デイモンの「ボーン」シリーズなどで存在感を示しているが、1946年生まれでけっこう遅咲きの俳優のようだ。この人のレクター博士も悪くはなかった。

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ということで、新旧「レッド・ドラゴン」対決は新作のほうに軍配。

来年3月末の定年まであと半年となった。今年4月に残すところ一年となったとき、小欄でその感想を述べてから早や半年である。おそらく、あとの半年もあっという間であろう。いよいよカウントダウンである。リタイヤした途端、コロッといくことだけはなんとか避けたい。

定年後も嘱託として留まる選択肢もあるが、会社にも仕事仲間にも、きれいさっぱり ”おさらば” すると宣言している。どうもそのためか、回りの仕事仲間たちがこのところ気を遣ってくれる。

新しい仕事は自分たちで捌いてなるべく私まで回ってこないようにしてくれるし、私がいちばん詳しいことも自分たちだけでこなそうとしてくれている。有難いような淋しいような、戦力外通告を受けた野球選手のようである。

(ちょっと古いが 長谷川一夫ふうに鼻にかかった声で、現在の心境を述べると・・・)
お役御免はチト早ようござるが、この時節になり、なお職務に励みすぎるのもいかがなものかと存ずる。ゆえに拙者、リタイアに向かってソフトランディングを目指すのが良い方策と心得る。昼行灯と人が陰口を叩こうが良いではないか。おのおのがた、いかがであろう・・・。

世の平均的サラリーマンは所詮 組織の歯車のひとつである。ガタのきた歯車は、若く元気な歯車に替わったほうがいいのだ。我が国にとっても雇用問題の解消、すなわち国益となるのだ。

音楽家や小説家、大工さんや理髪師といった、おのれの才能や技能で成り立っている職業は別にして、オレがいないと会社は困るといった幻想を、サラリーマンは捨てなければならない。まぁ、私なんぞはハナから持っていないが・・・。

なんか暗い話になってきた。しかしけっして暗くないのだ。来年の4月からは輝かしい第三の人生が始まるはずなのだ。

つまり第一は親のスネをかじった人生。第二は社会人となり親となり子供たちにスネをかじられた人生。そして第三の人生は・・・頼りにならんが国のスネを少しずつかじって生きていくんや! コロッといかなければの話だが・・・。

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