シヌマDEシネマ/ハリー東森

2010年08月

(子供)お父ちゃん ニュースでゆうとったけど、なんで江戸時代に
    生まれた人が戸籍に載ったままになっとるの?

(父親)そりゃ あれやろ、死んだことになってえへんから、戸籍から
    消されてへんのやろな。

(子供)そやかて、お役所の戸籍係の人は不思議に思わへんのか
    なぁ。どう考えたかて、生きとるはずのない人が載っとるんや
    でぇ。

(父親)役所の担当者も忙しいんやろ。たくさんの戸籍をいちいち
    調べとられへん。

(子供)そやかて、それがお役所の仕事とちゃうの。それに、5年に
    いっぺん国勢調査ゆうもんがあるゆうて学校で習ったでぇ。
    国勢調査と戸籍は繋がってぇへんの。

(父親)そりゃ 管轄が違うやろうから反映されてぇへんのやろうな
     ぁ。

(子供)管轄ってなにぃ?反映てなにぃ?

(父親)うるさいなぁ。つまりやなぁ 担当が分かれとって、繋がっ
    てぇへんゆうこっちゃ。お前は知らんかもしれんが、ちょっ
    と前に「消えた年金」ゆうのがあってな、これは「消えとらん
    年金」やな。はっはっはっ。

(子供)お父ちゃん 笑うとる場合やないで。そんなええかげんな
    ことでええの?これからの日本はどうなるの? なんとかせ
    なあかんちゃうの。

(父親)お前 昨日のテレビの坂本龍馬とおんなじセリフやないか。
    マネしいやなぁ。
    まぁ、父ちゃんもこのところ、開いた口が塞がらんのや。役所
    の仕事ぶりもそうやし、政治家も政治せえへんで何やっとる
    んか分からへんし。これが会社ならとっくに潰れとるわな。

    ところでお前、大きくなったら何になりたいんや。

(子供)そりゃ戸籍係やな。ラクそうでええがな。

(父親)なんや、坂本龍馬になりたいんとちゃうんかい。

7月2日から入院していた義母が退院し、57日ぶりに帰ってきた。そもそもの入院のきっかけは、かかりつけの病院で行った血液検査と腹部エコー検査からの、肝機能障害の疑いからだった。胃カメラからCT、MRI、最終的にはガン発見の最新鋭機らしいPETまで、検査、検査の繰り返しで、92歳にもなる老人には酷だった。

それでも原因が特定できず、血液中の白血球とCRPの数値は依然高いが安定しているため、今後は通院での様子見となった。間接リウマチ、間欠性肺炎という病気がついでのように判明はしたが、両方とも高齢化によるもので、これは今さらどうしようもないらしい。

あらためて振り返ると、いったいこの入院は何だったんだ。ということになるのだが、例年にない暑さの中、涼しい病院に居られたことや、PLの花火も特等席で見られたし、医療費は覚悟していたよりはるかに安く、こんなことなら養老院のつもりで、ずっとおったらええやんかと冗談まじりに話したわけで、まぁ結果オーライということか。

本人は入院前からすると7kgほど体重が減ったらしく、痩せて身体もひと回り小さくなってしまった。医師が驚くほどの元気さを維持しているがいつまで続くか分からないし、ほとんど毎日のように家と病院を行き来していた家内も疲れが溜まっているしで、とりあえずはホッとしたところ。

名古屋市近郊のK市に住まう実の母親とは18年しか一緒に暮らしていないのに、義母とはすでに30年以上になる・・・。この話をし出すと長くなりそうなので、これはまた別の機会に。

100828_bunchin独演会といいながらも、弟子 楽珍の前座で「青菜」、これは初めての 内海英華 の「女道楽」といわれる、三味線を使ったいわゆる色物を挟んで、新作の「憧れの養老院」、古典の「茶漬間男」「栴檀(せんだん)の森」の三席を聴かせてくれた。

会場はオバサンと定年を過ぎたようなオジサンがほとんどで、若いひとたちはちらほら。61歳の文珍は、年相応の渋みと落ち着きがでてきた。菅VS小沢の現在進行形の話題を取り入れたりのギャグ満載の高座はオバサン・オジサンに大受けであった。

文珍は亡くなった文枝の弟子で、兄弟子に三枝 その次に参院選の後どうしているんだろう きん枝がいての3番目。上方落語では古典も新作もできる、人気・実力を備えた落語家としてさらに活躍してほしいひとりだな。

ちょっと前からの続き。
さて、DVD録画機のあまりの安さに、前後の見境も無く衝動買いしてしまったのだが、新しい機種はこれまで使っていたものと比べ、内蔵ハードディスクの容量が多くなっただけで、その他の機能はほとんど同じである。だったら何で買ったんや。アホちゃうかと自分でも思うのだが、これがまさしく前後の見境が無いわけで、もう遅いのだ。

これまで我が家で愛用していたのは東芝製のRD-S302という機種で、内蔵ハードディスクの容量が300GBである。WOWOWなどで放映される映画をハイビジョン画質のまま録画すると、2時間もので20本くらいしか貯められない。(数値はメーカーカタログ 以下同じ)

そのため、VR方式(東芝の用語、他社はそれぞれ別の表現)という圧縮を行って、あとからDVDに移せるように容量を減らして録画している。これだと70本くらい貯められる。これでも、これまでのアナログ放送で録画したDVDより格段に画質は良い。(ただし、長時間録画を狙って圧縮率を上げ過ぎると見るに耐えない画質になってしまう)

ハードディスク容量の少ないこの機種を選んだ背景には、あとからDVDに保存しハードディスクからは消す、という前提があったのだが、録画したすべての作品をDVDに移すというわけではなく、最近では見たあとに消去するほうが圧倒的に多い。それでもこれまでに貯まったDVDは900枚を超えてしまったが・・・。

新たに購入したRD-X9はハードディスクの容量が2TB(約2000GB)で、これまでと同じ方式・画質で2時間の映画を録画すると、450本くらいは貯められる。当分DVDには保存せず、とにかくハードディスクに貯めるだけ貯めてやろうと考えているが、DVDに保存するのと同じ事で、置いとくだけでホントに見るの? というと甚だ疑問なのは分かっているのだが・・・。

とにかく、録画した映画はどんどん貯まるのだ。こんなふうにお金も貯まらんかいのぉ。と、やっぱりゼニカネにはセコいオジサンなのだ。

今回のRD-X9は4台目のDVDレコーダーである。1台目はどうしたかというと、大坂で所帯を持っている娘が喜んで持って帰った。2台目は寝室に置いてあるテレビに繋げてはいるがほとんど使っていない。この2台は地デジチューナーが付いていないので、アナログ放送が廃止になる来年にはお役御免になる。(DVDプレイヤーとしては使えるが)

ということで、これまで使っていた3台目も、そのうち娘が喜んで持って帰るだろう。

地下鉄の車内なんかで、携帯に見入っているたくさんの若者たちを見るたびに、おいおいキミたち、本を読んだり、物思いにふけったり、他にすることがいっぱいあるやろうと、ついつい小言がいいたくなるオジサンである。地下鉄のホームや階段でも、携帯を手放さずに覗き込みながら歩いている若い娘を見ると、危ないやないかと思わず頭を小突きたくなるオジサンである。

私の娘なんかは、何が無くなったら一番困るかゆうたら携帯やな。と言うんだけれども、何をおっしゃるウサギさん。携帯なんか無くったって何の問題もなく生きていけるんだよ。オトウサンが若い頃、おまえのお母さんではない昔の彼女の家に電話するのに、もしオヤジさんが出たらどうしようかと、どれだけドキドキしたもんか。おまえはドキドキして電話したことなんかないだろう?恋愛にはあのドキドキが大切なんだよ。話がそれたやんか。

携帯があれば確かに便利だわな。しかし今の世の中を見ていると、いっそのこと無くなったほうがいいと思っているオジサンなのである。

最近テレビで流れている、恋人同士が携帯の画面を通して手話で語り合っているソフトバンクのCM。これがたまらなくいい。バックで流れるルイ・アームストロングの唄もぴったりハマっている。

なるほど、この人たちにとって、テレビ電話やメールはなくてはならない道具なんだ。なんの宣伝文句も必要ないこのCMに、感動かつ納得。僅か30秒の映像と音楽でこれだけの表現ができることに、さらに感動。

五体満足な若者たちよ、気楽にメールのやり取りなんかやっとっちゃーいかん。ちゃんと会話しなさい。ましてや携帯でゲームなんぞ、オジサンは許せない。

ブルーレイ録画機はなぜ不要か。前回からの続き。

第二に
BDはそもそも、ハイビジョン映像の保存媒体としての優位性を特筆すべきはずなのに、どのメーカーもBDに長時間モードでどれほど多く録画できるかばかりを強調している。これではBDはDVDの延長線上の、単なる容量の大きな媒体という印象しか消費者に与えていない。これはメーカの販売戦略の大きな誤りであり、BDの普及を著しく阻害している要因のひとつである。

つまりは、本来のハイビジョンの画質に固執しない限り、DVDでも十分鑑賞に耐えられる画質は維持されているわけで、これではBDにしなければならない必要性を感じさせない。

第三に、これは理由というより業界への苦言として、
アナログ時代、つまりビデオテープ時代、媒体はVHSで(ベータとか、120分用とか180分用とかあったが、それはおいといて)、録画方法は標準か3倍しかなかった。(デジタルのビデオテープなどもあったが細かなことはここでは割愛) つまり、至極単純だった。

デジタルとなった現在、DVDやBDのうしろに、-Rが付いたり、-RW、-RAM、+Rが付いてややこしいし、同じDVD-RでもCPRMが付いたり付かなかったり、録画・ダビング方式にもいろいろありすぎて(それも各社の表現がマチマチ)、一般消費者には複雑怪奇過ぎる。これはBDだけでなくDVDも含めて共通にいえることである。マニア以外にはもっとシンプルにすべきである。

30数年前、家庭でのテレビ録画の幕開けとなった当時、VHS陣営がベータを駆逐したのは単なる技術力ではなく、スペックを公開してメーカーを越えて規格を統一したからに他ならない。翻って現状をみると、各メーカーは節操も無く録画媒体大容量化や3D化などの技術競争に血眼になっており(我が国の技術力向上が大切なのは理解できるが)、消費者をコケにしているとしか思えない。

かつて音楽用MDがもてはやされた時期があったが、今あのMDはどこへ行ったのだろう。それにひきかえ音楽用CDはおそらく最古のデジタル用品でありながら、今なお生きている。その理由を語りだすとまた長くなるので控えるが、各メーカーは音楽用CDの息の長さを肝に銘じて、消費者の立場で商品化すべきと考える。しかし今となってはムリなのかもしれないが・・・。

ブルーレイが実用化されてから以降でも、映像の圧縮技術、記録媒体の大容量化・低価格化、家庭内でのネットワーク利用拡大の可能性といったものがさらにさらに進んでおり、この世界はこれからもますます複雑怪奇かつ混沌となっていくのだ。

この秋に東芝から発売される予定のブルーレイ録画機は、HDD DVDから撤退してブルーレイに乗り換えた東芝が、この2月に初めて発売した第一弾に続いての二弾目の機種である。ここにきて、現在発売中のDVDレコーダー(ブルーレイではない従来のDVDにしか録画できない機種)の価格が、このところの株価よりさらにムチャクチャ下がっている。

私がよく利用するヨドバシカメラのネットでは、本日現在、最上位機種のRD-X9が59,800円で販売されている。(21%のポイントが付くので実質47,300円) この機種は内蔵ハードディスクが2TBで、記憶が定かでないが昨年秋の発売当初は12~3万円で販売されていたはず・・・。

この歳になって、少々のゼニカネのことでジャラジャラとセコいことを言うようで気が引けるが、とにかく安い。で、思わず 『買い物カゴに入れる』 をクリックしてしまった。いまどき、容量2TBの外付けハードディスクでも2万数千円しており、やっぱりこれは絶対安いのだ。

100819_dvd左の画像は下段がこれまで使っていたRD-S302、上が新たに購入したRD-X9。
こういう事態になってから、取って付けたように言うのも気が引けるが、ブルーレイ録画機は不要である。少なくとも現在の状況を鑑みる限り不要である。以下その理由を述べる。

まず第一に
ブルーレイディスク (以下BD) はDVDより容量が5倍ほど多いのだが、価格はというと5倍以上しており、徐々には安くなっているが依然まだ高い。DVDのほうが圧倒的に安く購入できる。1枚300円のBDか、40円のDVDのどっちを選ぶかは歴然としている。やはりゼニカネにはセコいオッサンなのだ。

長くなりそうなので続きは次回。

「遠すぎた橋」(1977年 監督:リチャード・アッテンボロー)は第二次大戦でのパリ解放の後、オランダに撤退したドイツ軍を一気呵成に攻め立てようと、連合軍が仕掛けた戦闘を描いている。が、この作戦は失敗に終わっている。

100817_bridgetoofar2公開当時に見たときは、煮え切らない結末に不満だったが、今回あらためて鑑賞すると決して悪くない。勇壮でワクワクさせる序盤から悲惨なラストまで、3時間近い長尺をダレさせず見せてくれた。主演級の俳優たちが次々と出てきてこれも飽きさせない。落下傘部隊が続々と飛び降りるシーンは圧巻で、どんなに精緻に見せるCGでも、この実写には絶対に敵わない

1950年代60年代は、時間と、お金と、豪華俳優を惜しまず投入した、いわゆる大作がたくさん作られたが、この「遠すぎた橋」はおそらくその流れの最後の作品だと記憶している。我が国でも毎年お正月には「忠臣蔵」がオールスターで作られたものだが、いつのまにか無くなってしまったのとちょっと似ているか。これも時代の趨勢なのでしょう。

ショーン・コネリーは「史上最大の作戦」(1962年)では二等兵かなんかの軽い役だったが、007の活躍が功を奏したのか、ここでは師団長と偉くなって出ている。アンソニー・ホプキンス、マイケル・ケイン、ジェームズ・カーンの役どころが良くて、他の俳優陣より光って得をしている。

100817_bridgetoofar1この頃のアンソニー・ホプキンスは「羊たちの沈黙」(1990年)でのレクター博士の異常なキャラクターはまだ持ちあわせず、ここではやさしく頼りになるイギリス軍中佐を演じている。残念ながらドイツ軍に包囲され力尽き捕虜となってしまう。そのときの憂いをたたえた表情がこの一枚。その後のハンニバル・レクターはとても想像できない。

最近のアクション映画はハデなスピード感ばかりで(それはそれでいいのだが)、ゆったり見せるアクション映画もいいもんだ。こういった作品が作られることはもうないのでしょう。ハードディスクから消すのはもったいない。DVDに保存だな。

この時期になると、我が家の団地のすぐ横を通る国道は、大坂方面から高野山へ行き交う車でうんざりするほど渋滞する。住民にとっては迷惑でしかたない。こういうときはなるべく出かけず家でじっとしているほうがいいのだ。で、録りだめた映画なんかを鑑賞する。

ということで、昨年のアカデミー賞主演男優賞にノミネートされたミッキー・ロークの「レスラー」(2008年 監督:ダーレン・アロノフスキー)をこのお盆休みに鑑賞した。

100816_wrestler絶頂期をとっくに過ぎたレスラーの、それでもプロレスリングの世界で生き続ける姿を生々しく描いた作品。ミッキー・ロークは「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」 (1985年)「エンゼル・ハート」(1987年)のイケメンぶりとはまるで別人の容貌になってしまっている。この人のこれまでの人生にもいろいろあったのでしょう。

かつて栄光の道を歩んできた男が行き着く落ちぶれた姿といえば、先日映画館で鑑賞した「クレイジー・ハート」と重なってくるが、こちらのほうがずっと悲惨で、心身ともに痛々しい。アルバイトで稼がなくてはならないほど本業のプロレスでは喰えないくせに、自分の身体を酷使して、それでもやり続ける不器用な主人公をミッキー・ロークはおそらく地(ジ)で演じている。

この初夏に公開された「アイアンマン2」で、ミッキー・ロークは悪役として出ていたが、ここでも地(ジ)で演じてしまうから、まったく精彩がなかった。しかしこの「レスラー」では役にぴったしハマっておりました。

ひとり娘にも見放され、アルバイトの職も失い、想いを寄せる女性にも敬遠され・・・そういった疎外感が結末に向かってギュッと凝縮され、ラストに突入していく。孤独な男の結末がハッピーエンドになるわけもないのだが、この終わり方は感心しました。悪くない。

私がプロレスを必死にテレビで見たのは力道山までで、馬場や猪木のときはもう熱は冷めていた。今のプロレス界はまったく疎いけれど、そんなに変わっていないのでしょう。プロレスが純粋なスポーツ競技でなく、肉体を張った興行的な見世物だということが、この作品で好意的に理解できる。

出てくるレスラーたちがみんな善人で、おそらく同業のレスラーたちが(熱烈なファンも含めて)この映画を見たら、きっと泣いて喜ぶにちがいない。

先月からWOWOWで放映が始まった「ザ・パシフィック」は、太平洋戦争を描いた単発のテレビドラマである。スティーブン・スピルバーグとトム・ハンクスが製作に参加しており、第1回放送から欠かさず鑑賞している。

全10回のうち、これまで4回分放映されていて、オープニング・タイトルの映像と音楽はたまらなくシビれるのだが、内容はというと今のところ、おもしろくもなんともない。1時間弱の枠の中で、戦争という大きな固まりに対して起承転結を期待するほうが酷かもしれず、ここは連続ドラマとして見てやらないといけない。しかし今のところ、おもしろくもなんともない。

主人公の海兵隊員レッキー(ジェームズ・バッジ・デール)は、故郷にガールフレンドがいて、せっせと手紙なんか書いているくせして、ガダルカナルの戦闘のあと休養で訪れたメルボルンでは、若い女性とねんごろになったりして、オジサンとしては、ちょっと許せない。いかんいかん。まぁ、その女性があんまりカワユくて、分かる気もするのだが・・・。

ジャングルの日本兵はやたらと突撃を繰り返し玉砕するだけ。あれではアメリカに負けるわけだと思ってしまうが、まぁ米兵側から描かれているのでこれはしかたない。ただ、ハデなドンパチだけの戦争ドラマではなく、これからおもしろくなりそうな雰囲気を漂わせているので、もう少し長い目で見てみるか。

100811_pacific1もうひとりの主人公、心臓を患い少し遅れて出兵してきたユージーン・スレッジ(ジョー・マゼロ)は、たしか何かの映画で子役として見た記憶があり、これが「ジュラシック・パーク」(1993年)のホテルの厨房で、ヴェロキラプトルに追っかけまわされたあの姉弟の弟ではないか。まぁ大きくなって。スピルバーグつながりか。その成長ぶりもこれから見ないといけない。
 
100811_pacific2  
 

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