シヌマDEシネマ/ハリー東森

2009年10月

今年5月に公開された「スター・トレック」がDVD、BD発売開始を前に、昨夜WOWOWで放映されていた。今夜はスター・チャンネルでも放映されるようだ。10月のWOWOWの番組ガイドにはこの記載がなく、どうやら急遽決まったものと思われる。

これまでは、劇場公開 → DVD発売 → 有料テレビ局放映 → 民放テレビ放映 という流れが一般的であった。近頃では民放のテレビ局がスポンサーとなっている邦画は、有料テレビ局より先行して、自局の放送網に乗せるケースがあり(昨夜の「隠し砦の三悪人」がそうであった)、この流れが崩れかけてはいるが・・・。

今回のケースは、DVDレンタル派ではない、WOWOW派の私にとっては、なんとも心地よい状況なのである。もちろん、ハイビジョンで録画した。(昨夜は前述の「隠し砦の三悪人をリアルタイムで鑑賞していた)今から劇場公開時に味わったワクワク感をゆっくり楽しむつもりだ。

さらに今回のケースは、有料テレビ局の販路拡大の大きな武器になるであろうし、今後はこのパターンが一般的になると考えられる。もっと早く実現すればと思うのだが、今まで出来ない理由があったのだ。それはなぜか・・・。

以下は私の想像である。
デジタルの波が、従来の映像ソフト二次利用の形態を崩しつつあるのだ。これまでのアナログ放送でこんなケースが実現すると、DVDに録画された複製版が先行して出回り、レンタル業界は痛手を喰らう事になる。

しかしデジタルである。DVDもしくはBDへの録画は1回しかできない。(ダビング10という10回まで録画できる番組もあるが、有料放送は原則1回こっきりのようである)そして録画したDVDは複製はできないし、互換性もない。従ってこの恩恵を受けられるのは、有料放送に加入しているユーザーだけということになる。誠に良いことではないか。

もっとも、画質は相当劣化するが、アナログ出力経由でDVDに録画する手段もあるので、セコい商売を考える連中が出てくるかもしれないが・・・。悪いことを考えるヤカラは後から後から出てくるものである。

ということでこれからも、このパターンを定着させていって欲しいと切に願っている、今日この頃の ハリー東森 である。

<前回からの続き>
仕事で東京にいた俺は、時間つぶしの芝公園で木村拓哉・工藤静香夫妻に遭遇し、思わず持っていたデジカメでその様子を撮影した。キムタクの目の前でその画像を削除したのだが・・・。

 ふっふっふ。コンピュータに関して俺はプロだぜ。削除したデータを復元するなんざぁ、お手のものよ。彼らに背を向け、俺は芝公園をあとにした。

パソコンに少し詳しい方はお分かりだろうが、書類をゴミ箱に捨てて、『ゴミ箱を空にする』を行なって消したつもりでも、生き返らせることができるのだ。(不可能な場合もあるが、詳しい理由は本題ではないので省く)

俺はそのテのソフトを使って、消したはずの2枚の画像を復元した。それがここにある。しかし公開することはできない。俺はミーハーではない。こんなことでチャラチャラしないのだ。しかし、今考えるとあの時、ふたりからサインをもらう機会は十分にあったな。残念だったな。やっぱり俺はミーハーか?

                              <了>

先日も小欄で取り上げたのだが、私が利用させてもらっているこのeoブログのポータルサイトでのブログランキングについて再び述べたい。ちなみに、このeoブログは関西電力系のプロバイダ eoネット が主催している。

田舎にある我が家は、ネットワークに関してはADSLも基地局が遠くて利用できず、低速な電話回線に甘んじていたところ、7年半ほど前いち早く光サービスが開始されたのがこのeoネットであった。おそらく1,000世帯ほどあるこの団地での最初のユーザーが私である。開通したとき、サクサクと画像が表示されるのを見て、喜びにむせび泣いたものである。

さて、私が投稿した「キムタク・工藤静香ナマ写真・・・」は私が体験した事実を、ありのままに(いやいや少しだけ味付けはして)述べているのだが、ちと長いので4回に分けて、先週3回目を掲載した。まぁ4コマ漫画のように起承転結を考えたつもりでもあるのだが。

その記事が「ニュース・芸能」カテゴリーで、今現在 第一位に輝いている。劇的にアクセス数が増えたわけでもないし、所詮はeoブログ内の限られた小さな器の中のことではあるが、悪い気はしない。

実は、2回目の掲載の時も、第一位になったのだが、この時は一位から消えた途端、ベスト50のどこからも姿を消してしまっていた。ヒット曲や映画の興行収入でもそうだが、徐々に順位を落としていくのがフツウでしょう。アクセス数が極端に減ったわけでもないので、どこか違和感がある。まぁどちらでもいいことであるが、単純にアクセス数だけの順位付けではないのかもしれない。

ということで、栄光の第一位からの転落の模様に注目しているのだ。

この10月に母親が米寿を迎えた。名古屋近郊のK市でひとり暮らしている。同じ市内に私の姉が居り、それをいいことに母の世話は彼女に頼りきってしまっている。米寿を祝って温泉にでも行こうと誘うのだが、「行けせん。行けせんてぇ。ウチにおるのがいちばんだてぇ。もぉーほっといてちょー」とベッタベタの名古屋弁で遠慮する。

余談だが、私と同年代の名古屋人でも、これだけネイティブな名古屋弁はしゃべらない。いまどき貴重な名古屋弁なのである。この方言の大切さを、どうやら名古屋に住まう名古屋人は分かっていない。日本全国、情報も人も頻繁に行き来する昨今、これは他の地方も同じかもしれないが、淋しいことである。

話を戻してその温泉行き。私もこの歳になり、身体のあちこちにガタがきているが、さらにその母親である。無理に連れ出して寝込まれても困るので、お祝いは品物に替えた。しかし、いったん温泉に行こうと決めた私の気持ちが治まらない。

しかたない、母親抜きで、母親のために用意した予算も使って、家内とふたりで出かけることにした。つまり、米寿の母親をほったらかしにして旅に出たわけだ。歳を重ねても親不孝な息子だ。ちなみに我が家には卒寿を2年も通り越した家内の母親が同居している。当然こちらもほったらかしての旅行である。

091025_onsen1_2湯布院駅前から望む由布岳
青空に映える姿は悠然としていた。







091025_onsen2_2湯布院の宿。温泉も料理も良かったが、ロケーションや部屋からの眺めにはややがっかり。








091025_onsen3_2九重大吊り橋から眺める山々はすでに深い秋の気配が漂っていた。








091025_onsen4_2黒川温泉の宿。温泉街の中心からやや離れ、いかにも山奥の宿という佇まいだった。








091025_onsen5_2阿蘇山火口を背景に
                 ハリー東森
自身のブログでの
   
写真 初デビューである。








湯布院は、八ヶ岳・清里と雰囲気が似ていた。高原のちょっとお洒落な町という感じ。

黒川温泉は気に入ったねぇ。山あいにへばりつくような温泉まちの風情や、旅館のスタッフからおみやげ屋の店員にいたる人たちが押しなべて、泊まり客をWelcomeする姿勢がいい。泊まった旅館の印象も最高だった。旅行から帰ってひと段落すると、さて次はどこへ行こうと考えるのだが、ココはまた行きたい。黒川温泉の人気の理由が分かった次第である。

ということで、親不行の旅はこれからも続く。

<前回からの続き>
仕事で東京にいた俺は、時間つぶしの芝公園で木村拓哉・工藤静香夫妻に遭遇し、思わず持っていたデジカメでその様子を撮影したが・・・ついにキムタクとの対決の時がきた。

 俺はベンチを立って、まだこちらを睨みつけているキムタクに向かって歩き出した。十数歩も行くとすぐ目の前に彼がブスッと立っている。おおやっぱりあのキムタクだ。思ったより小っせーなぁ。そんなことを考えての第一声が「アカンかったかなぁ」・・・なんという弱気な関西弁だ。我ながら情けない。
 「ダメッす」彼の第一声がこれだ。「やっぱりアカンかなぁ」「ダメッす」おいおいキミはそれしか言えんのか。「しかたない。消すから見とってよ」俺は持っていたデジカメを再生モードにし、彼にも見えるように目の前に構えた。
 俺の顔の5.5cm横にキムタクの顔があった。ほのかになんともいえぬ匂いが、俺の鼻腔をくすぐった。おいこれギャッツビーか?
 ふたりでデジカメの液晶画面に見入った。さっき撮影した2枚の画像を彼に見せながら削除ボタンを押した。「これでちゃんと消したから」俺は彼に確認を促した。

 「悪いわねー。こういうのはすぐネットで流れちゃうからー」工藤静香が声をかけてくれた。顔がさらに異様に大きくなり見苦しいだけの亀井静香ではない工藤静香だ。彼女がこの俺に声をかけたのだ。彼女も携帯はSoftBankだろうか?
 キムタクは結局「ダメッす」としか言わなかった。テレビで見る恰好良さとはえらい違いだ。キミィ、印象悪くしたよ。そう思いながら俺は彼らから離れ、御成門の交差点に向かって歩き出した。

 ふっふっふ。コンピュータに関して俺はプロだぜ。削除したデータを復元するなんざぁ、お手のものよ。彼らに背を向けながら、俺は下卑た笑いを浮かべていた。

                         <続く>

加藤和彦の訃報は少なからず驚きであった。報道によれば「音楽でやりたいことが無くなった」ということだが、それはちょっと違うだろうと感じた。アーティストたるもの、自分の作品に満足する、しないにかかわらず、さらに上を目指すものだと思うからだ。

音楽に対する意欲、生きることに対する意欲を失くしたということなのであろうが、なんとも残念である。私なんぞは、常にあれが欲しいだの、どこぞへ行きたいだの、うまいもんが喰いたいだのといった物欲ばかりであるが、これが前向きに生きる意欲をかき立てるのだ。

さて、加藤和彦である。私が高校3年の時であった。1学年下に想いを寄せる女の子がいた。彼女と名古屋市公会堂へフォーク・クルセダーズのコンサートに行ったことがある。フォークルはたしか解散間近で、はしだのりひこが新しいメンバーを引き連れ「風」を唄ったことだけが記憶に残っている。

北山修と加藤和彦が組んだ音楽は、その少し前にアメリカから渡ってきたフォークソングの色にとらわれず、また違った新しさを感じたものだ。彼らがいたから、拓郎や陽水は変貌したし、ユーミンも続いたと考える。その功績はけっして小さくない。

「あの素晴しい愛をもう一度」もいいがこれもいい。「白い色は恋人の色」
この曲を録音するとき、入れ込み過ぎて「♪ふるさとの・・・」のサビのところで泣けてしまって困った覚えがある。40年前の、ふるさとの、あの子の、甘酸っぱい思い出が、今でも鮮やかに蘇る。

私が利用させてもらっているこのeoブログのポータルサイトには、ブログのランキングが提示されている。カテゴリー毎に、ブロガー別やら記事別とけっこう細かい。会員数など知る由もないが、所詮はeoブログ内の小さな器の中のことではある。

それでもやはり気になって見てしまう。私の場合、カテゴリーは「映画」で投稿することがほとんどで、これまでベストテン入りしたことはあるが、たしか5位くらいが最高だった。そのときもアクセス数が大幅に増えたとかいった印象は特にない。従ってこのランキングは単純にアクセス数だけがランク付けの基準ではないのではと勘ぐるのだが、所詮はeoブログ内の限られた小さな器の中である。

先日から2回投稿した「キムタク・工藤静香・・・」は初めてカテゴリーを「ニュース・芸能」にしたのだが、1回目が3位、2回目も現時点で5位になっているではないか。”工藤静香”や”拓哉”をキーにして入ってくる、いわゆる一見さんがたしかに多いようだが、アクセス数は微々たる増加なので、やはり小さな器の中なんでしょう。

いつも投稿している映画ネタでなく、芸能ネタで上位ランク獲得とは、なにかこそばゆいような、なんとも皮肉だねぇ。

先日の「私は貝になりたい」や「母べえ」の、ただただ悲しい映画についてまだ考えている。

悲しい話を悲しく描くのはたやすいことではないか。悪いヤツをいいヤツがやっつける話をスカッと描くほうがずっと難しいのではないか。と考えるのだがどうであろう。

志の輔の落語のマクラにこんなのがあった。ニュアンスはやや異なるが、まさしく同感である。それと、 ”笑い” を ”映画” に置き換えてみると、これもまさしく同感なのだ。


<前回からの続き>
仕事で東京にいた俺は、時間つぶしの芝公園で木村拓哉・工藤静香夫妻に遭遇し、思わず持っていたデジカメでその様子を撮影したが・・・。
 都会の喧騒からやや外れた静かな公園にシャッター音が響いた。キムタクがこっちを向いて俺を睨んだ。俺は素知らぬフリをして撮った画像を確認した。ふたりとも下を向いて子供たちを眺めている。これでは誰だか分からない。その向こうの女子学生の驚いた表情だけがはっきりと見てとれる。

 ダメだ。撮り直しだ。見るとキムタクがまだ俺を睨んでいる。知らんふり。知らんふり。しばらくすると彼の視線は子供たちに戻った。よーし、もう一度ちゃんと撮ってやろう。俺はシャッターチャンスを窺った・・・。

 都会の喧騒からやや外れた静かな公園に再びシャッター音が響いた。キムタクがこっちを向いて俺を睨んだ。俺は素知らぬフリをして撮った画像を確認した。おおっ、今度はバッチリだ。誰が見てもあのふたりだと分かるぞ。俺はミーハーか?はしゃぐ自分がちょっとイヤになる。
 視線をキムタクに戻すと、おいおいまだこっちを見ている。よく見ると ”このままでは済まさんぞ” といった剣幕に見てとれる。まずい。おっ時間だ。そろそろ仕事に戻らねばならない。俺の行為は悪いことだったのか。肖像権とかいう問題もあるし・・・本人の承諾もとらずに勝手に撮って・・・、俺はパパラッチか?週刊誌に売り込むつもりか?

 突然の嫌悪感が俺を襲った。このまま素知らぬ顔でこの場を離れてはイカンだろう。といってこのままでは彼らが先にこの場を去るとは思えないし・・・。よしっ。しょうがない。決着をつけよう。・・・俺はベンチを立って、まだこちらを睨みつけているキムタクに向かって歩き出した。

                       <続く>

この3連休は特に映画館に足を運びたくなるような作品もなかったので、ビデオに録りだめて置いてある何本かの映画を我が家で鑑賞した。その中から、先日WOWOWで放映していた「私は貝になりたい」(2008年東宝 監督:福澤克雄)について述べたい。

夫婦で理髪店を営む主人公が、太平洋戦争での兵役で、捕虜となったアメリカ兵を殺害した容疑でAB級戦犯となり、絞首刑になるお話。1950年代にフランキー堺の主演でテレビ化、映画化されているがこれは見ていない。

091013_watasiwakai苦労して夫婦になり、やっと掴んだ幸せも束の間、家族に突然の不幸が訪れるのだが、とにかくひたすら悲しい話。それをどちらかといえば、あまり暗くないキャラの中居正広と仲間由紀恵が演じる。ふたりの熱演は伝わるが、中居のイメージは「笑っていいとも 特番」のタモリと組んだ司会(昨夜ちょうどそれをやっていた)のほうがぴったりで、どうもいけない。

それに加えて、草彅剛や笑福亭鶴瓶が絡んでくると、おいおいやっぱり「笑っていいとも」かよ。と、悲しさが空すべりするんだな。なのに話はひたすら悲しい。いまが幸せ過ぎて、悲しい思いがしたいという人にはいいかもしれないが、私はゴメンだねぇ。 ”だから何なんだ” と思ってしまう。

これもだいぶ前テレビで鑑賞した吉永小百合の「母べえ」(2008年松竹 監督:山田洋次)もそうであった。とにかく悲しいのである。ただただ悲しいだけなのである。 ”だから何なんだ”。悲しみや苦しみを乗り越えて、それでも頑張って生きていこうとかいった、未来の希望や光明といったものがなーんもなくて、ただただ悲しいのだ。

日本人の情緒もひと昔前とは変わってきたはず。いつまでも悲しいばかりの映画では通用しないと考えるのだがどうであろう。私は感動する映画を見たいのである。悲しみの先にある感動。笑いの先にある感動。悪い奴らをやっつけてスカッとする先にある感動。それが私にとっての ”おもしろい映画” なのだ。

この作品をこき下ろしてばかりで申し訳ないが、けっして不出来の作品ではなかったので念のため。中居正広と仲間由紀恵を起用したことで、我が国がアメリカと戦争したことも知らない若い世代がこの作品を鑑賞し、祖父、祖母といった先人がこういう時代を経験してきたのを知るのはいいことだ。

舞台となる土佐の雄大な自然の描写は秀逸だったし、戦中・戦後の町の様子、焦土と化した東京の様子などはCGでさりげなく、巧みに表現されていて、CGのこういった使われ方は大賛成である。

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