シヌマDEシネマ/ハリー東森

2009年09月

この連休を含め、このところ映画館に足を運びたくなるような作品があまりない。その中で一本選ぶとしたらトニー・スコット監督の「サブウェイ123」。本国アメリカでは不振に終わったそうだが、外れの少ない監督なので手堅いはず。

090923_subway1地下鉄の管制官デンゼル・ワシントンと、ニューヨーク ペラム駅1時23分発の地下鉄を乗っ取り(原題が The Taking Of Pelham 123)乗客を人質に身代金を要求するジョン・トラボルタとの虚虚実実のかけひきでダレることなく最後まで引っ張られた。ベタほめするほどの良さはないが、そこそこの悪くない作品であった。

この監督、リドリー・スコットの弟で、兄貴とは作風はだいぶ異なるがアクション作品に徹しているのが潔い。デンゼル・ワシントンとはこれまでに「クリムゾン・タイド」(1995年)、「マイ・ボディガード 」(2004年)、「デジャヴ 」(2006年)で組んでおり息も合っていたが、この前3作と比べるとやや落ちるな。この監督では、ブルース・ウィリス主演の「ラスト・ボーイスカウト」(1991年)がいちばん好きだねぇ。

この「サブウェイ123」は「サブウェイ・パニック」(1974年 監督:ジョセフ・サージェント)のリメイクということで、前夜オリジナルの旧作を再見してからの鑑賞であった。これまでのリメイク版のイメージというと、リメイクといいながらオリジナルとは設定を大きく変えてしまうイメージが強かった。

090923_subway2しかし、この作品はキャラクターの設定を変えているくらいで、犯罪の手口やその対応などのディティールについては、ほぼ旧作をなぞる部分が多く、良い意味で予想を裏切られ好感が持てた。

悪漢ジョン・トラボルタは我が国の”村上ファンド”を彷彿とさせるような、証券バブルの天国と地獄を経験して悪に染まったという設定。デンゼル・ワシントンも車両購入に絡む収賄容疑で停職寸前という、清廉潔白な善人でもないという設定で、単純になりがちな展開に色をつけていた。が、もうひとつ描ききれておらず、ちょっと残念。

デンゼル・ワシントンとジョン・トラボルタの役を旧作ではそれぞれ、ウォルター・マッソーとロバート・ショウが演じていた。好みの問題でもあるが、私には旧作のふたりのほうが圧倒的に魅力があった。特にウォルター・マッソーは味があったねぇ。また別の機会にこの作品は取り上げたい。ということで、新旧サブウェイ対決は、旧作の勝利。

我が家初代のパソコン。15年ほど前に購入したMacintoshのCentris 660AV。この数年、ほとんど使うこともなく置いてあるだけであった。ゴールデンウィークの間に整理・処分するつもりだったができず、この連休に行なった。そろそろシルバーなオッサンがシルバーウィークを利用したわけだ。

090921_mac1このパソコンは、小欄で以前紹介しているが音楽がやりたくて購入したもの。この画面を見ながらどれだけの音符を打ち込んだことか・・・。


コンピュータの役割は、生活や仕事を快適にしたり便利にしたりというだけでなく、創造性を刺激してくれる道具だということを教えてくれたパソコンであった。このパソコンのおかげでどれだけ音楽生活が豊かになったことか。

090921_mac2その音を鳴らしてくれたのがこの音源(いわゆるシンセサイザー)であった。今となってはこういった機器もさらに進化しており、これもこのあたりでお役御免だな。いやー長い間ご苦労さん。ただただ感謝。感謝。

この音源が鳴らしてくれた中から、人恋しい秋の夜に似合いそうなのを1曲チョイス。このところデジタルリマスター版で話題のビートルズ。「ラバーソウル」A面7番目の「Michelle」を。そろそろシルバーなオッサンなのでバックコーラスの裏声がムリ。高音もきつい。





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ラックだけはこのまま置いといて、近い将来、新しい周辺機器をここに揃えて、クリエイティブにまたやるぞー。

ちょっと前の産経新聞に、”ら”抜き言葉を容認する動きが出ているという記事が掲載されていた。

『明日は温泉旅館でおいしいものが食べられる→食べれる』 『今夜はテレビであの映画が見られる→見れる』 こんな表現があたりまえのように使われているから、しかたないことかもしれないが、反対。

日本語が乱れているといわれて久しい。言葉の語尾を上げてみたり、『私的には・・・』といった若者言葉が非難されたりしたが、最近ではオバサンやオッサンまでもがそんな調子でしゃべっている。私もひとのことは言えず、気づかないうちに使っているかもしれない。

時代とともに言葉が変わっていくことはしかたないことではある。いや、当たり前の流れかもしれない。しかし、”ら”抜きはいかん。見れる。食べれる。これでは日本語としての品がない。まぁ、あんまり上品とはいえないオッサンが言うのもなんだが、やっぱり品がない。変わるのであれば品良く、心地良く変わってもらいたい。

「♪クジラのダンス・・・♪蟻んこの涙・・・♪いつかきっと見れるよね~」たしかこんな歌詞のCMソングがあるが、こういうのが良くない。こういうのが ”ら”抜き を助長するのだ。

”車上荒らし”は変えてほしいが、”ら”抜き言葉は変えてほしくないと、”私的”には思っているぅう(思わず語尾を上げてしまった・・・[E:catface]) ハリー東森 である。

盗難の手口に ”車上荒らし” というのがある。この表現に誰も疑問を感じないのであろうか。先日もテレビでこの報道をやっており「それはちゃうやろ」とつい口に出てしまった。”車上”といえば、フツウに考えれば、自動車の上っ面ではないのか。

だから”車上荒らし”を素直に受け取れば、車の屋根やボンネットがキズを付けられたりへこまされたりすることとちがうんかい。

「おっちゃん 車上荒らし ってなーに?」と小さな子供に聞かれたとしよう。「それはねー坊や。車の中に置いてある大事なものなんかが盗まれることだよ。わかった?」「おっちゃん それやったら 車内荒らし ゆうんとちゃうの?」・・・坊やが正しいではないか。

間違っていたらごめんなさい。どうやらこの言葉は、自動車が普及するもっと前の時代からあったのではないか。つまり馬車や荷車が主流の時代の、車とはまさしく”車輪”を指しており、”車輪の上のものが盗まれる”=”車上荒らし” ではないか。であれば ”車”=”自動車” の今となってはそぐわない。

我々の幼少の頃は、”伝染病”といわれた病気がいつのまにかもっと広い意味での”感染症”と呼び名が変わっている。”車上荒らし”も法律用語からきているかもしれないが、見直してもいいんでないの。

この前の日曜日の午後、テレビのチャンネルを切り替えていたら、WOWOWで「ヒットマン」(2008年 監督:ザビエ・ジャン)が始まったところでタイミングもよし。最後まで見てしまった。主演の暗殺者を演じる俳優はたしか「ダイ・ハード4.0」(2007年)で悪役をやっていたはず。

090916_hitman_2「ダイ・ハード4.0」がそれまでのシリーズ3作に比べ、もうひとつ気に入らなかったのは、この悪役にインパクトが無かったからだということを思い出させたその俳優は、やはりこの映画の主役ティモシー・オリファントであった。

さてその「ヒットマン」。暗殺者の養成所で子供の頃から鍛えられた主人公が、ロシア大統領の暗殺命令を受け、首尾よく実行するがその裏に隠された陰謀に巻き込まれ反対に命を狙われるというお話。元々はゲームソフトからの映画化らしい。

お話のアイデアから結末までが「ボーン・アイデンティティ」の二番煎じという感じ。往年の「007」や「ジョーズ」「スター・ウォーズ」「インディ・ジョーンズ」から近年の「ハリ・ポタ」に至るまで、ヒットした作品には柳の下のドジョウを狙って、亜流の映画がたくさん作られるが。この作品もそんな印象を拭えない。

養成所で鍛えられた暗殺者たちが、みんな坊主頭で後頭部にバーコードの入墨をしており、変装するということもなしにそこらじゅう立ち回るので目立ってしかたないではないか。これもゲームソフトのキャラクターなのか。

相手役がオルガ・キュリレンコ。どこかで見た名前だと思ったら、「007/慰めの報酬」(2008年)でパッとしないヒロインで出ていたあの女優だ。まったく気づかなかったねぇ。それだけ印象が薄いということか。

見ているぶんにはドンパチとハデにやってくれるのでダレることはない。かといって取り立てておもしろーいというほどのこともない。途中で止めなかったのは、まぁソコソコの出来だったのでしょう。しかし、こうゆう中途半端なのがいちばん良くない。やがて忘却の彼方へ消え去る作品だな。

劇場公開された映画は一般的には3ヶ月から半年くらいでDVD化され、半年から1年後にテレビ放映されるのが、このところの映画産業における映像ソフト二次利用、三次利用のサイクルらしい。

以前はこの期間がもっと長かったはずだが、どんどん短くなるようだ。これでは観客はよけいに映画館に足を運ばなくなるのではないかと懸念するのだが、どうなのであろうか。まぁ、ゲームソフトや漫画までもが頻繁に映画化される時代だから、映画産業という枠にとらわれず、映像ソフト産業とかエンターテイメント産業とか、そんなくくりになってしまっているのかもしれない。映画ファンにとってはなにか淋しい気もするが、これは余談。

ところが待っているのに、なかなかテレビ放映されない映画があるんだな。例えば、ジャッキー・チェンとクリス・タッカーの軽妙なコンビで、作品の出来はもうひとつだったがノリは良かった「ラッシュアワー3」(2007年8月公開)とか、ブライアン・デ・パルマ監督のもう一度じっくり鑑賞したい「ブラック・ダリア」(2006年10月公開)など。

マイナーな作品などであれば劇場公開後、日の目を見ずに埋もれていく映画もあるかもしれないが、けっしてそういった作品でもない。他にも何本かテレビ放映されないままの映画を数えることができる。なんでだろう。

配給会社がテレビ会社に放映権を売らないのか、テレビ会社が買わないのかのどちらかであろうが、よく分からない。ただ、有料放送のスターチャンネルとWOWOWの番組を見比べると、最新公開作品のテレビ放映の時期が同じであることから勘案すれば、前者であろうと思われる。が、よく分からない。

映画館では見ていない、リメイク版「椿三十郎」(2007年12月公開)なんかも待っているんだけれどナカナカやらないねぇ。

「そんなに見たけりゃ、レンタル借りろ」・・・おっしゃる通り。それが大方の意見であろうが、デジタルテレビ放送の高画質に慣れてしまうと、画質の悪いDVDは借りる気がしないし、わざわざ借りなくても、テレビ放送で見たい映画を他にもたくさんやっているから不自由はしない。が、気にはなる。

ということで、『ネットで予約。ポストに返却』のテレビCMには踊らされず、ひたすらテレビ放映を待ち続ける ハリー東森 である。

フランスの現在の大統領はサルコジ。その前がシラク。その前がミッテラン。2つ飛んで、第5共和政 初代大統領ドゴールの暗殺を題材にした映画に「ジャッカルの日」(1973年 監督:フレッド・ジンネマン)があった。

090914_jacal_1大統領暗殺を企む反政府組織に雇われた殺し屋ジャッカルと、その情報をキャッチし、その阻止に全力を傾けるパリ警察との息詰まる話が展開され、いやーおもしろい作品であった。

先日小欄で紹介した、「コラテラル」の殺し屋トム・クルーズも冷酷であったが、エドワード・フォックス演じるジャッカルも目的達成のためには手段は選ばない。一方のパリ警察の捜査本部長を演じるのがミシェル・ロンダール。このふたり、他の作品にもけっこう出演しているが、なんといってもこの作品で光り輝いている。

090914_jacal_2話を積み重ねていくひとつひとつのプロットも良い。たとえば、政府高官たちにジャッカルの捜査状況を報告するその内容が、ジャッカルに筒抜けになっているとみた捜査本部長は、ひとりの政府高官の家を盗聴し、そこから情報が漏れていることを突き止める。捜査会議で「なぜあの人物を怪しいとにらんだのか」という質問に「いやいや みなさんの家全部を盗聴していましたよ」と応えるあたり、警察も手段を選ばないしたたかさであった。

その警察が張りめぐらした網の目をかいくぐって、用意周到かつ臨機応変にパリ潜入を目指すジャッカルと、警察との緊迫した駆け引きは目が離せない。CGを駆使したハデなアクションだけで引きつけようとする、昨今の映画にはぜひ見習ってほしい、お手本のような映画だな。

いよいよ話の終盤。パリ開放記念日か何かの式典。凱旋門に登場したドゴール大統領の狙撃には絶好のアパートメントに侵入したジャッカル。狙いを定め銃弾を放つ。が、惜しくもはずれる。このあたり、映画だねぇ。さぁ次は・・・というところで、必死に守る捜査本部長に発見され、容赦なく撃たれ、あえない最期を遂げる。手に汗握るとはこのことだ。

この映画は、場所も時代も趣を変えたリメイク版「ジャッカル」(1997年)が、ブルース・ウィリス主演で作られている。追跡役のリチャード・ギアがなぜかモタモタしていたのと、老練シドニー・ポワチエが渋くて印象的だったくらいで、作品の出来としてはこのF・フォーサイス原作の(読んでいないが)こちらのほうが格段に良かった。

6月23日付け小欄で「世界ふれあい街歩き」のブレないカメラの仕掛けを紹介したが、そのカメラの呼称は ”ステディカム” だということ。そしてこのカメラが使われた映画が判明したので、その紹介をしたい。

これも小欄9月3日付けの中で紹介した著書「ロードショーが待ち遠しい」(藤本益弘著 文芸春秋)の1980(昭和55)年12月13日公開「シャイニング」(監督:スタンリー・キューブリック)の紹介の中に以下のように記述されていた。再び内容と広告の無断掲載をお許し願う。

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『この映画には、ステディカムを駆使した移動撮影(撮影監督はステディカムの発明者であるギャレット・ブラウン自身が担当している)が随所に出てきて、音響効果と相まって不気味な視覚効果やスピード感を生み出している。』



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そうだ、この映画の最後のヤマ場。狂気と化したジャック・ニコルソンが、ホテルの庭に造られた巨大迷路の中に逃げ込んだ我が息子を追いかけるあの場面。カメラはスムーズな動きで逃げる息子、追う父親を捉えていた。

それを確かめようと、我が家所蔵のDVDを見ながら、その画面をキャプチャーしてみた。なるほどカメラがスムーズに迷路の中を走り回っている。

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しかし、ラストの部分を思わず見入ってしまったが、まぁ怖い怖い。映像と音楽で恐怖心を煽り立てるねぇ。出てくる幽霊たちも怖いが、怖がる奥さん役のシェリー・デュバルのほうがもっと怖い。そうだこんなのを見ていたら、明日から茨城方面へ出張なのに、ひとりホテルで寝られへん。と思わず見るのを止めてしまった ハリー東森 である。

お金とヒマがあれば(この場合お金の比重が大きいが)、何べんでも行きたいラスベガス。そのラスベガスを題材にした「ベガスの恋に勝つルール」(2008年 監督:トム・ボーン)が先日WOWOWで放映されていて鑑賞した。

ラスベガスで出会い、酔った勢いで結婚したはいいが、翌日になってお互い後悔し、別れることで決着がついたはいいが、別れ際に投入した25¢にスロットマシンが唸りを上げてJACKPOT、いわゆる大当りだわ。300万$。3億円かぁ。映画だねぇ。

お互い賞金の所有権を主張して裁判に。判決は半年間夫婦生活ができれば賞金は折半。拒否したほうが所有権消滅。さてふたりはどうなるか。映画だねぇ。

この映画の男女のように、思慮に欠けた行動は腹立たしいが、それについて今さらオッサンが口出しするつもりは、ない。しかし映画の出来については口出しを、する。

お話の発端も展開もおもしろそうで、結末もなんとなく見えているが、どうやってハッピーエンドまで持っていくのかと見ていたが、これが良くない。ダメ。

090908_vegas何がダメか。その1。
今年37歳のキャメロン・ディアスと31歳のアシュトン・カッチャーでは男役が若過ぎる。キャメロン・ディアスは美人とは思えないが愛嬌のあるルックスでスタイルもいいし、このテの映画はハマリ役のはずであるが、どうもしっくりこない。実際の年齢以上に歳が離れて見える。従って出会いも展開も不自然。ミスキャストだな。

キャメロン・ディアスのラブ・コメディでは「ホリディ」(2006年 監督:ナンシー・マイヤーズ)が良かった。相手役のジュード・ロウは適役であった。アシュトン・カッチャーがダメといっているのではない。ましてや男女の年齢の差をいっているのではない。この映画には合っていなかった。

何がダメか。その2。
賞金を独り占めしようと、お互い相手が嫌がるようなあの手この手を繰り出すのだが、これがまったくおもしろくない。コメディなのに笑えない。コメディなのにこれではいかん。

「ザ・グリード」(1998年)のトリート・ウィリアムズやフランス版「Taxi」のアメリカ版(2004年)のクイーン・ラティファが脇を固めていたが、あまり光っておらず、これも残念。キャメロン・ディアスは少々歳を召したとはいえ、まだまだいける。今回はダメでも次作に期待。

8月26日付け小欄で問題提議した、NHK-hiで放映している「刑事コロンボ」の画面サイズに関して、NHKの窓口に質問を投げかけていた。その回答が9月2日に返信されたので、その内容をそのまま掲載する。
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Eメールありがとうございました。
いつもNHK海外ドラマをご覧いただきまして、
ありがとうございます。

お問い合わせいただきました『刑事コロンボ』の
画角サイズについて、お答えいたします。

ハリー東森様ご指摘の通り、旧シリーズは4:3サイズ、
新シリーズは16:9で放送しておりますが、
これらの画角サイズは、本国より提供された素材そのままの
サイズで放送しているものであり、NHKで画角サイズをトリミング
したものではございません。
何卒、ご理解いただけますよう、お願い申し上げます。

これからもNHKの海外ドラマをよろしくお願いします。

NHK 海外ドラマ担当

※このアドレスは発信専用です。
再度メールをいただく場合もお手数ですが、
「NHK海外ドラマホームページ」

http://www3.nhk.or.jp/kaigai/ よりお送りください。
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ということは、以前NHKや日本テレビ系で放映された新シリーズは両端をカットされ4:3で見ていたということだ。であれば、1989年以降の新シリーズについては、地デジで放映されても支障ないということだ。納得。

しかし、米国では20年も前のそんな早い時期からワイド画面でのテレビ番組が制作・放映をしていたのかねぇ。テレビ自体が発売されていたのかねぇ。新たな疑問。

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