シヌマDEシネマ/ハリー東森

2008年09月

今年のGWに公開された「紀元前1万年」は見たかったのに見られなかった作品でした。先日我が家にそのDVDが置いてあるので家人に尋ねると、お友だちのダンナさんが買ったのをチャッカリ借りてきた由。で、さっそく鑑賞させてもらいました。

監督のローランド・エメリッヒはこれまでに
     「ユニバーサル・ソルジャー」(1992年)
     「スターゲイト 」(1994年)
     「インデペンデンス・デイ 」(1996年)
     「ゴジラ」(1998年)
     「デイ・アフター・トゥモロー」(2004年)
と、いわゆるSF作品を数多く撮っており、そこそこの作品レベルをキープしています。そしてこれは以外な、メル・ギブソン主演のアメリカ独立戦争を題材にした「パトリオット」(2000年)が畑ちがいという印象なのにこれが良い出来で、チョット好きな監督なのです。

「紀元前1万年」もこの監督らしく味付けはSF風の冒険映画という印象でした。しかし、家で見る映画というのは、映画館と比べてハンデがありますねぇ。映画館はお金を払う分映画に集中するし、暗い中で他にすることもないから映画に集中できるわけだ。家ではそういうわけにはいきません。

まず寝転んで見てしまう体勢が映画に対して失礼だわな。部屋が明るいし、横から家人がゴチョゴチョ話しかけてくるしで集中でけへんわけです。そういう面もあってこの作品、もうひとつ盛り上がりませんでしたねぇ。タダで見といて文句をゆうとるわけですが、映画館で見ればまた印象がちがったかもしれません。

紀元前1万年という世界でありながら、クリアな英語で話されるとちょいシラけるし、ダチョウのお化けみたいな動物はあの時代ホンマにいたのかといった時代考証的な疑問も盛り上がれない要素でしたねぇ。前述の「スターゲイト 」のようにいっそのこと空想冒険映画にしたほうがさっぱり割り切れたかもしれません。

あと、この作品のねらいどころが、小欄で紹介した「アポカリプト」と似ているところがありまして、両者を比べると作品の出来栄えは歴然と差がついて、「アポカリプト」に軍配が上がるのでした。

あんまり人さまのことはとやかくいえない私ですが、家人のお友だちのダンナさんは、この映画を映画館で見た上に、DVDも購入したんだそうです。わざわざ買うほどの作品とは思えませんがねぇ。人それぞれなんですねぇ。まぁ映画産業発展のためには喜ばしいことですか。

こうゆう語り口もシンドいんじゃが、前回の流れからこのままいこうと思うとるわけだ。今度は我が家のパソコンの話をしようかのぉ。

今、オジサンが使うとるパソコンはデル製のノートブックで、メモリが2Gバイト、内蔵ハードディスクが100Gバイトでモニターがワイド17インチなんじゃ。2年ほど前に買うたはずで、このパソコンは我が家で5代(台)目になるんかいのぅ。

仕事でコンピュータ使うとるよってに、家に帰ってまでやりとうないとずっと思うておって、家ではやらん主義やったが、どうしてもやりたいことがあったんじゃ。

我が家で初めてパソコンを買うたのは、かれこれ15年ほど前になるかのぉ。購入したのが、Macintosh の Centris 660AV という機種で、メモリが16Mバイト、内蔵ディスクが230Mバイト で、大阪日本橋の電気街で当時35万円ぐらいしたはずじゃ。とにかく高い買いもんだった。

今でこそ当たり前のようになっとるが、当時としては音声入出力が付いとったし、なんとビデオ入出力まであったんじゃ。それが機種名に"AV"が付いとる所以じゃった。(ビデオについては、当時としてはまだまだ能力が足りず、機能せんかったがのぉ)オジサンはとにかくこのパソコンで音楽がしたかったんじゃ。目的はただひとつ。音楽しかあらへんかった。

ガキの頃から友だちに恵まれてギターを覚えたし、その頃からテープレコーダやマイクを駆使して、唄とギターを重ねて録音するまぁゆうたら音声多重録音なんぞというシャレたことをやっとった。その延長でいわゆるコンピュータミュージックとゆうものをやりたかったんじゃ。

そやさかい、シーケンスソフトと呼ばれるいわゆる音符を打ち込むソフトや、音源と呼ばれるいわゆるシンセサイザーも合わせて買うたわけだ。それからというもの、ようけの曲をやったぞよ。またそのうち聞かせたるけんのう。 ただ、その後はガキの頃からの友だちたちとつるんで生の音楽をやりだしたら、そっちのほうがおもしろいんだなぁ。ほやからここんとこずっとご無沙汰しとる。

初代のそのパソコンの後、我が家のパソコンは、MACの iBOOK が2台続き、4台目の東芝製ノートブックからWindowsに変わったがこれはウチのカミさんがいまだに使うとる。iBOOKの1台は友人にくれてやった。(ほんとうは売却したんじゃが)残ったMACを使うことはほとんどありゃーせんが、まだまだ現役で動いとるぞよ。

まぁざっとこんなとこかいのぉ。ネットワークの話もしたいんじゃが、またそのうち気が向いて、こんなしゃべくり方がしたくなったら聞かせたろうかいの。

小欄でも紹介したことがある「逆転」(1963年 監督:マーク・ロブソン)のポール・ニューマンが、私の洋画への扉を開いてくれた俳優でした。

先日発売された雑誌「スクリーン」の11月号でも、余命数週間となったため、ニューヨークの病院を出て自宅に戻ったといった記事が掲載されており、そろそろという感じではありました。淋しいねぇ。しかし、年老いても、亡くなっても、若い頃の映像がいつまでも残るというのは俳優さんの羨ましいところだな。

080928toweringinferno_2

これも亡くなったスティーブ・マックイーンと共演した「タワーリング・インフェルノ」(1974年)のラストのふたりの会話からエンドロールに流れるところを聞いてください。
ふたりの会話は以下の通り(日本語字幕は岡田壮平氏) 音楽はあのジョン・ウィリアムズ。




   ポール・ニューマン     このビルをこのまま残すべきかもな
                    人の愚かさの象徴として

   スティーブ・マックイーン  運がいい 死者は200名以下だ
                    今にこんなビルで1万人の死者が出るぞ

                    俺は火と戦い 死体運びさ
                    安全なビルの建て方を聞かれるまで

   ポール・ニューマン     それじゃ 教えを請うよ

   スティーブ・マックイーン  今度 電話しろ
                    またな 設計屋



大げさなタイトルを付けてしもうたが、先日 映画でのCGの使われ方についての感想をオジサンなりに述べさせもろた。そのウラにはコンピュータの驚異的な進歩があるわけだ。別に隠しとるわけじゃぁありゃーせんが、オジサンはコンピュータ関係の仕事をしとってのぉ。

びっくらこいて腰抜かすなよぉ。それも昭和46年(1971年)のどえりゃぁ昔から今のいままでやっとるんじゃ。若い頃のように頭もよう回らんし、この世界も複雑怪奇になってしもうてなかなかついていけんが、なんとかがんばっとるんじゃ。ここはひとつ大昔のコンピュータの話をしたろと思うとるわけだ。

今どきの若いもんは当ったり前のように携帯電話やパソコンをつこうとるが、オジサンたちがガキの頃には、携帯なんぞありゃーせんかった。まぁそんなこたぁ今さらゆうてもせんないが、昔のコンピュータがどんなもんじゃったか、耳ばこっぱじって聞いときんしゃい。(どこの言葉や?)

その前に、今このブログを見ている君ぃ。キミのパソコンのメモリー容量と内蔵ハードディスクの容量は分かっとるかね? それと K(キロ)バイト、M(メガ)バイト、G(ギガ)バイト、T(テラ)バイト といった容量の単位は分かっとるね?これが前提だぞよ。分かりゃぁせんかったら、ハナからいかんぜよ。(どこの言葉や?)

昭和46年、オジサン(当時はまだ20歳のおぼこい若者じゃった)の勤める会社のコンピュータ(パソコンではないぞよ)はメモリーが64Kバイトしか(メガでもギガでもないぞよ)無いくせに、大きい図体をタタミ2畳ほど占有しておった。ハードディスク装置もタタミ半畳ほどあって、大きなお皿を10枚ほど重ねたようなものでも5Mバイトしかなかったのじゃ。

モニター画面なんぞはありゃーせん。コンピュータへの命令はタイプライターからやっていたのよ。そんな石器時代のようなコンピュータでもいっちょまえに給与計算やら経理処理などをこなしとった。

建設関係の会社やさかい、コンピュータをつこうてプロッターと呼ばれる装置(ロールに巻かれた紙にペンで絵や文字を描くんだが分かるまいのぉ)で設計図面なんぞを描いておって、オジサンはその図面の一部を担当したりして、いわゆる世にゆうプログラムを作っとったんじゃ。かっこようゆうたらプログラマーゆうやっちゃ。

プログラムを作るっちゅうても、さっきもゆうたがモニター画面なんかありゃーせんぞよ。コーディングシートと呼んどった紙にプログラムを書いて、パンチャーと呼ばれるオネエチャンがカードにプログラムを打ち込んでくれるんだ。そのカードをカードリーダという装置でコンピュータに入力しとったんじゃ。口でゆうても分からへんやろうなぁ。

当時カードパンチャーのオネエチャンたちが6~7人もおったかのぉ、そのうちのいっちゃんかわゆいオネエチャンが今のウチのカミさん(ハニー・東森)なんじゃ。ゴッホン。ここだけの話にしといてくんろ。

あー いつもと言葉がちがうよってに 疲れてしもた。続きは次回じゃ。

ちょっと前になりますが、WOWOWで「ジョーズ」を放映しておりました。我が家にはアナログ放送を録画したDVDはあるのですが、今回ハイビジョンで録画してあらためて鮮明な画像で鑑賞しました。

以前にも小欄で紹介した、私が選ぶ3大アクション映画の1本であり、今見てもやっぱりおもしろく、十分鑑賞に堪えられる作品ですねぇ。劇場公開して今の若い人たちに大スクリーンで見てほしいねぇ。CGでなくてもこうゆう作品はできるんだ。

今は亡き ロイ・シャイダーもロバート・ショウもこの作品の中では永遠に元気だし(ロバート・ショウはジョーズにガブリと喰われてしまいますが)、リチャード・ドレイファスも若いねぇ。

ジョン・ウィリアムズはそれまでにもたくさんの作品を手がけているようですが、この音楽でパッと出てきたようです。冒頭のタイトルシーンから流れるのこの音楽




いかにも恐怖を煽る旋律でいいのですが、私はジョーズに銛(もり)を打ち込んでその先に繋げた樽を引っ張らせるシーンがまさしく音楽と画面がシンクロして、たまらなく好きな場面です。
そこんとこ ちょっと聞いてください。コレやっぱり最高だ



この週末に NHK BS で「隠し砦の三悪人」(1958年)を放映していました。この作品は幼少の頃に見た覚えがかすかにあり、その後、若い頃にリバイバルかなにかで見たのですが、実はあまり印象が無かったのです。

覚えているのは、冒頭 合戦に負けた雑兵の千秋実と藤原鎌足が荒野をさまよいながらののしりあうシーン。ふたりが草木も無い岩山のてっぺんから見下ろすと、はるか下の谷底に隠し砦が見えるシーン。三船敏郎が馬上で手綱も持たず(いわゆる手放し状態で)両手で刀を構えながら敵兵を追っかけるシーン。くらいの断片的な記憶しかありませんでした。

今回あらためて鑑賞しなおしての感想は、”たいしたことなかったなぁ”ということでした。だから印象も薄いのでしょう。黒澤監督の時代劇アクション作品「七人の侍」「用心棒」「椿三十郎」が100点としたら、私にはこの作品は60点くらいですかね。けっして出来は悪くはないのですが、前述の3作品があまりにも良すぎて、それらと比べるとだいぶ物足りない。

隠し砦(というよりフツウの建屋)を出発するまでの前半がとにかく長く、千秋実と藤原鎌足のコミカルな哀れさ、強欲さが前面に出過ぎでチョットしつこくダレました。タイトルの三悪人はこのふたりと三船敏郎でしょうが、この作品には悪人はひとりも出てきません。そんなアラが気になりましたが、なんといっても50年前の作品なんだから贅沢を言っちゃぁいかんわな。文句をタレるのも失礼ですか。

「スターウォーズ」(1977年)第1作でレイア姫に密命を託されたR2-D2がC-3POとともにタトゥーン星に脱出し、砂漠をさまようシーンは、この作品冒頭の千秋実と藤原鎌足からのアイデアという話は有名です。念のため。

前述の三船敏郎の手放しでの馬上疾走はやっぱり今でもびっくりするカメラワーク。敵の侍大将 藤田進との槍での対決もめずらしいがチト長い。解説の山本晋也監督と渡辺俊雄氏がまぁえらくベタほめをするたんびに、そうでもないだろうと聞いていました。当たり前のことですが、人によって感じ方がちがうわけです。だから映画はおもしろい。

前回からの続き。

「ナルニア国物語 第一章」(2005年)に至っては、CGでの表現も来るところまで来たという印象を持ち、どこかでこの反動がくるだろうと待っているのですが、その後もどんどん加熱するばかり。アクションシーンはさらにさらにドハデになるばかりで、”そんなアクションはスタントマンでも、でけへんやろう”というのがCGだったりして・・・。

このところ CGありき の作品が多過ぎますよ。そのうち、大道具・小道具といったスタジオセットから、ロケまでも必要無くなるんでないの?スパイダーマンがビルの間を滑空するシーンはCGなわけで、これはもう実写との合成なんぞではなく、アニメーションそのものなわけです。そうだと思って見てみるとなんかガッカリしませんか?そのうち役者まで不要になりかねませんが、そんな映画は見たくもないねぇ。

映画の作り方が時代とともに変わっていくのは当然としても、なんでもかんでもコンピュータでやってしまう愚かさに、そのうち気づいてくれるといいんですが・・・。その前に観客のほうが離れていくかもしれません。

「ゾディアック」(2006年)で描かれた雰囲気漂う1960年代のサンフランシスコなんぞは多分CGでしょう。「アンタッチャブル」(1987年)のケビン・コスナーが役目を終え事務所から外に出て、シカゴの街を去っていくところがラストシーンでしたが、あの1930年代のシカゴの街並みは多分CGでしょう。こんなさりげないCGの使い方なら大賛成なんだけど・・・。

「十戒」(1956年)の海が二つに割れるシーンや「ベン・ハー」(1959年)の戦車レースの舞台となる競技場などは、どうやって撮ったのか今でも驚きです。そんな映画の摩訶不思議な部分も魅力のひとつなんだけどなぁ。

先日WOWOWで「CG進化論 映画でたどるCG45年史」という番組をやっており、少なからず興味もあり録画して見てみました。これまで映画で使われてきたCG(コンピュータ グラフィックス)の黎明期から現在までの過程をその時代、その時代の作品の紹介やスタッフのインタビューを交えながらの変遷を解説したものです。

いわゆるSFXとかVFX(Visual Special Effect)などと一般的によばれていて、我が国では視覚効果などといわれている技術は、コンピュータを使わなくても、絵やミニチュアモデルを使うなど、映画が誕生した時からあったわけで、映画そのものが視覚効果でできているといってもいいかもしれません。

コンピュータを使った映像で私がいちばんに浮かぶ映画は「トロン」(1982年)で、コンピュータの中に入り込んでしまった人間(ジェフ・ブリッジス)がコンピュータの中で、コンピュータとバイクレースを行なうという、なんとも分からん、しかしナカナカおもしろい作品で、CGといっても今のに比べれば(当時としては画期的なのですが)カワイイもんでした。

しかし、最近ではCGを駆使した、いや、駆使し過ぎた映画が多いように思えるのは私だけでしょうか。確かに、映画というものは想像を絶する、ありえないような映像を見せてくれるのも、映画の持っている大きな魅力のひとつです。ただこれも映画の要素のひとつであり、すべてではありません。

ユアン・マグレガー主演の「アイランド」(2005年)を見たとき、CGが巧みに使われていると思われるカーチェイスのシーンがありました。アクションシーンの見せ場を作りたかったのでしょうが、お話のスジとはあまり関係なく、そこまでやらんでもいいでしょう。という印象がありました。

長くなるので次回に続く。

デビッド・リーン監督の「ドクトル・ジバゴ」が出てくると、私の頭では次は当然「ライアンの娘」(1970年)も出てくるわけです。

アイルランドの海岸沿いにある小さな町を舞台に、酒場の親父ライアンの娘ロージーの恋愛、結婚、不倫、挫折、再出発を20世紀初頭 イギリスからの独立運動を背景に描いた文芸大作というところですか。

お話の進行役のような形で出てくる、神父のトレバー・ハワードと従者のジョン・ミルズの印象が強く、ロージー(サラ・マイルズ)にほのかな恋心を抱く身障者のジョン・ミルズがラストのロージーとの別れで流す涙に感動したものです。ジョン・ミルズはこの作品でアカデミー賞助演男優賞を取っています。

ロージーのダンナさんが、教師役のロバート・ミッチャム。アイルランドでロバート・ミッチャムではチョット場違いな感じもあるのですが、始終モサーとした役柄はピッタリでした。デビッド・リーンといえば「アラビアのロレンス」「ドクトル・ジバゴ」「ライアンの娘」が大河ドラマ3作品として浮かぶのですが、それぞれ大自然の描写がたまらなく印象的でした。私はこの3作品の中では「ライアンの娘」がいちばん好きですねぇ。

ラストシーン、町を去るロージー夫妻をバスのりばまで見送りにきた、トレバー・ハワード神父とジョン・ミルズ。ジョン・ミルズはロージーから頬に分かれのキスをされ、それまでの嫌われようとはうって変わってのやさしさに涙を流すのです。ここがたまらなく良いのだ。

ロバート・ミッチャとトレバー・ハワードの別れの挨拶のあたりからバスが去り、エンドローに流れるところを聞いてください。音楽はこれもやっぱりモーリス・ジャール。



デビッド・リーン監督の「アラビアのロレンス」が出てくれば、次は当然「ドクトル・ジバゴ」(1965年)が出てくるわけです。どちらかといえば、ハリウッド製アクション系ムービーを専門的とはいいませんが、まぁ得意な分野としているつもりの私としては、こいった文芸モノはとっつきにくいのですが、若い頃はこうゆうのも進んで見ていたわけです。

この作品もやたら長くて、難しいお話で理解できず、頭が痛くなりました。若い頃に見たため、まだおぼこい少年だった私には男女の機微など理解できるわけもなく、ただただ一生懸命見たのでしょう。

モスクワの若い医者のジバゴ(オマー・シャリフ)とララ(ジュリー・クリスティ)の恋愛がお話の軸として展開していくのですが、私にはふたりのホレたハレたという印象はあまり無く、ロシア革命によって没落していく貴族(ジバゴの家族も悲惨)と台頭してくる社会主義がひしひしと伝わってくるのが印象的でした。

話はちょっと変わって、海音寺潮五郎だったはずですが、我が国には3つ(たしか3つだった。4つではないはず)の歴史ロマンがあるといっており、源平・戦国・幕末をあげています。歴史の転換期といった激動の時代というのはそれだけでドラマになるのでしょう。

話を戻して、この作品は、ジバゴの兄弟のアレック・ギネスがジバゴとララの娘に語って聞かせる回想でお話が進むのですが、話が終わったラスト、恋人と去っていく娘に背負われたバラライカをアレック・ギネスが見て「バラライカを弾くのか?」恋人が「アーティストみたいに上手さぁ」というような会話を交わし、ジバゴと娘の絆を思わせながら、エンドロールへと流れていきます。

しかし、オマー・シャリフのバラライカの演奏はなかったと記憶しています。そのラストシーンのところをちょっとだけ。会話はロシアでありながら正統派イギリス英語のようにクリアです。音楽は「ララのテーマ」で、これもモーリス・ジャール。



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