昨年から続けているきれいどころの女優、ちょっと途切れていますがまだやっとります。
アメリカの中高年男性に、いまだに支持されている映画が「ゴッド・ファーザー」だそうで、私はそうでもないですが、日本でも高倉健や菅原文太のやくざ映画が中高年男性の間でもてはやされるのと同じなのでしょうか。
イタリアの巨匠セルジオ・レオーネが晩年にアメリカで撮った仁侠映画が「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」(1984年)で、ロバート・デ・ニーロとジェームス・ウッズを軸にニューヨークの貧民街から這い上がっていく男たちを描いた、まぁえらく長い映画でした。
物語の前半、登場人物たちの子供時代を子役が演じており、ロバート・デ・ニーロの子役が想いを寄せる女の子がこれも子役のジェニファー・コネリーで当時14歳。これがまたかわゆいこと。昨今の男も女もどんどん眉毛は細く薄くなっていますが、今時 太く濃い眉毛でも見られる女優は彼女くらいではないですか。
ロバート・デ・ニーロ(の子役)がトイレの壁の穴から覗くと、隣の部屋でジェニファー・コネリーがバレエの練習をしています。(これが上手くない)
練習のためにかけているレコードが「アマポーラ」でこれが甘く切なくもうたまらない。この曲を聞くとこの作品と幼い姿のジェニファー・コネリーが蘇ってきます。
そこへ彼女の兄が店の食堂が忙しいので手伝うように呼びに来て練習が中断するのですが、そこのところをちょっとだけ聞いてください。
コメント
コメント一覧 (4)
どんな結末だったかさっぱり忘れており、最後のほうを見直しました。ロバート・デ・ニーロが見ていると、ゴミ収集車の向こう側に現れたジェームス・ウッズが車が走り去るとともに消えてしまっており、ゴミ収集車に身を投じて死んだのか。というシーンですか。
見る人の解釈はそれぞれでしょうが、私はロバート・デ・ニーロのあの時の気持ちを代弁していると受け取りました。ゴミ収集車が去った後、パーティーを終えた若者たちの車が通り過ぎます。
ロバート・デ・ニーロにしてみれば、結末なんかは知りたくなかった、若い頃のいい思い出だけおいときたかったといった心境があの場面になったんですよ。つまり現実ではありません。
どう思やあす?
そりゃぁ にゃあね。そこから幻想だったら映画として成り立てせんわ。